第八十二話 冬町を辿る足音
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
朝の冷気がまだ残る頃
伊東祐兵と島津豊久は
連れ立って町へ出た。
雪は夜のうちにやみ
通りの端に名残を留めている。
店の戸が一つ、また一つと開き
味噌の香りや炭の匂いが
冷たい空気に混じった。
「町は朝が一番
息づいている」
祐兵がそう言うと
豊久は周囲を見渡し、静かに頷いた。
人の声は控えめだが
確かに暮らしは動いていた。
魚屋の前では
干し魚が風に揺れ
豆腐屋では白い湯気が立つ。
二人は急がず
ただ歩調を合わせて進んだ。
道端では
子どもが凍った水たまりを
棒で突いて遊んでいる。
それを叱る声もなく
母親はただ見守っていた。
「冬は、人の動きが穏やかですな」
豊久の言葉に
「余計なことをせず
必要なことだけをする」
祐兵が応じる。
町は静かだが
決して止まってはいない。
細い路地を曲がると
古道具屋の前で
老人が荷を整えていた。
祐兵が一声かけると
老人はゆっくり顔を上げ
短く礼を返す。
それだけで十分だった。
長い話も、詮索もない。
冬の町では、言葉は少なくてよい。
豊久は足跡を見て
「昨夜は雪が深かったようですな」
と呟く。
「それでも朝には道ができる」
祐兵の言葉通り
人の歩みが町を形作っていた。
昼が近づき
町は少しだけ賑わいを増す。
二人は来た道を戻りながら
何事もなかったような
町の様子を胸に刻んだ。
「特別なことは
何も起きませんでしたな」
豊久が言う。
「それが、この町の良さだ」
祐兵はそう答えた。
人が暮らし、道を歩き、店を開く。
それだけで町は成り立つ。
冬の町歩きは
静かな確かさを残し
二人の足音とともに
ゆっくりと終わっていった。




