第八十話 冬町、行き違いの一刻
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
冬の午前、飫肥の町は薄曇りに包まれていた。
伊東祐兵と島津豊久は
用足しの帰りに小橋を渡っていた。
川面には氷の縁が張り
水は鈍い光を返している。
橋のたもとで
行商の女が立ち止まり
籠の中身を確かめては首を傾げていた。
その傍らで
少年が不安そうに辺りを見回している。
「何かあったようだな」
祐兵は足を止め
豊久も静かに様子を窺った。
町の静けさに
小さな違和感が混じっていた。
行商の女は困った様子で言った。
「この子に頼まれて預かった包みが
どうしても見当たらないのです」
少年は唇を噛み
「確かに渡しました……」
と小さく答える。
責める声はない。
だが、互いに不安が募っていた。
豊久は籠の底を覗き
「荷は多いが
落とすほど乱れてはおらぬ」
と首を振る。
祐兵は周囲に目を向け
橋の欄干、雪の残る足元を確かめた。
「急がず、一つずつ見直そう」
その声に、二人の表情がわずかに和らいだ。
祐兵は橋の影に視線を留めた。
凍った石の隙間に
布の端が覗いている。
「これだ」
引き上げると
小さな包みが現れた。
どうやら風に煽られ
欄干の下へ滑り落ちたらしい。
少年は目を見開き
「それです!」
行商の女も深く息を吐いた。
豊久は包みを渡し
「冬は風が悪戯をしますな」
と柔らかく言う。
責める者も
責められる者もいない。
ただ、小さな行き違いが
静かに解けただけだった。
女と少年は何度も礼を述べ
それぞれの道へ戻っていった。
橋の上には再び
冬の静けさが戻る。
「事は小さくとも
心は揺れるものだ」
祐兵が言う。
「だからこそ、大きくせぬよう
受け止めねばなりませぬな」
豊久は頷いた。
二人は歩き出し
雪解け水の音を背にする。
町では今日も
名も残らぬ出来事が
いくつも起きては消えていく。
だが、誰かが立ち止まり
手を差し出せば
それで十分なこともある。
冬の町は
そのことを静かに教えていた。




