第七十九話 雪影ゆらぐ宵
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
冬の夕暮れ、飫肥の外れに広がる野は
一面の雪に覆われていた。
伊東祐兵と島津豊久は
用事の帰りに足を止め
沈みゆく陽を眺めていた。
雪原は光を受け
白ではなく淡い藍や金を帯びている。
風が止むと
世界は音を失ったかのように静まり返った。
「現とも夢とも
つかぬ景色ですな」
豊久が呟く。
祐兵はただ頷き
雪に映る長い影を見つめていた。
冬は、境目を溶かす季節でもあった。
やがて空が群青に染まり
月が昇る。
雪面は月光を映し
まるで水のように揺らめいた。
二人が歩みを進めると
足音すら吸い込まれ
踏みしめた感触だけが残る。
遠くで梢が鳴り
粉雪が舞い上がった。
「雪はすべてを隠しますな」
豊久の言葉に
「いや、本質だけを残す」
祐兵が応じる。
余計な色も音も消え
そこにあるのは
光と影
そして呼吸だけだった。
ふと、雪原の向こうに
淡く揺れる光が見えた。
火でも星でもない
頼りない輝き。
豊久が目を細める。
「……見えますか?」
「ああ」
祐兵も確かに捉えていた。
光は近づくでもなく
遠ざかるでもなく
ただ漂っている。
雪の反射か、目の錯覚か。
二人は追わなかった。
追えば壊れてしまうと
どこかで分かっていたからだ。
やがて光は
月明かりに溶け
最初から無かったかのように
消えていった。
館へ戻る道
振り返ると雪原は
変わらず静かに横たわっている。
だが
確かに何かを見たという感覚だけが
胸に残っていた。
「不思議な夜でしたな」
豊久が言う。
「冬は
人に余白を与える」
祐兵はそう答えた。
語らぬ自然
名も持たぬ光。
それらは人に何も求めず
ただ在るだけだ。
雪を踏む音が戻り
町の灯が見え始める。
幻想は静かに幕を閉じ
しかし心の奥では
まだ淡く揺れていた。




