第七十八話 冬町に落ちた小さな波紋
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
冬の昼下がり、飫肥の町は穏やかだった。
伊東祐兵と島津豊久は
味噌屋の前で立ち止まり
新しく干された樽を眺めていた。
その時、通りの向こうで
かすかな騒ぎ声が上がる。
人だかりの中心では
小さな荷車が横倒しになり
薪が道に散らばっていた。
荷車の主である老人は
立ち尽くして途方に暮れている。
どうやら凍った石畳で
車輪を取られたらしい。
「冬は、こういうことが起きやすい」
祐兵はそう言い
人だかりへと歩み寄った。
老人は何度も頭を下げ
「すまぬ、すまぬ」
と繰り返していた。
通行人も手伝おうとするが
凍った道で足を取られ
思うように進まない。
豊久は周囲を見渡し
「このままでは
誰かが怪我をしますな」
と呟いた。
祐兵は静かに頷いた。
二人は声を荒げることなく
人々に道を空けるよう促し
まず散らばった薪を
端へ寄せ始めた。
老人は不安そうに見守るが
祐兵たちの落ち着いた動きに
次第に周囲も倣い始める。
冬の町では
焦りが一番の敵だった。
荷車を起こそうとした瞬間
車軸がきしり
今にも折れそうな音を立てた。
「無理に動かすと、かえって壊れます」
豊久が制し
祐兵は周囲の店から
板切れを借りてきた。
板を敷き
滑り止めを作ると
二人は息を合わせて
ゆっくりと荷車を起こす。
――ぎ、と音がして
荷車は無事に元へ戻った。
老人は目を丸くし
「おお……」
と言葉を失う。
派手なことは何もない。
だが、小さな知恵と落ち着きが
冬の事故を未然に防いだのだった。
薪を積み直し終えると
老人は深く頭を下げた。
「命拾いしました」
「誰にでも起こることだ。お気になさらず」
祐兵はそう答える。
豊久も微笑み
「冬道は、急がぬのが一番ですな」
と添えた。
人だかりは自然と散り
町は再び穏やかな流れを取り戻す。
何事もなかったかのように
店の呼び声が戻ってきた。
二人は歩き出し
雪解け水が流れる溝を越える。
「小さな出来事ほど、人の心が出る」
祐兵の言葉に
豊久は静かに頷いた。
冬の町は今日も
静かに息づいていた。




