第七十七話 冬山、息づく静寂
冬の朝、山は深い静けさに包まれていた。
伊東祐兵と島津豊久は
町外れの山道を並んで歩く。
昨夜の雪が枝に残り
踏みしめるたび、きゅっと乾いた音がした。
空は澄み
遠くの稜線までくっきりと見える。
「冬の山は、余計なものが削がれますな」
豊久が言う。
「あるのは、命と静けさだけだ」
祐兵はそう応じ
白い息をゆっくり吐いた。
人の声も鳥の声もなく
ただ自然だけが、そこに在った。
沢に差しかかると
水は細く流れ
縁は薄氷に覆われていた。
陽を受け、氷が淡く光る。
祐兵は足を止め、水面を覗き込んだ。
「流れは止まらぬ。
凍るのは、表だけだ」
豊久は頷く。
「人も同じですな。
外が冷えても、
内が生きていれば折れぬ」
風が木々を揺らし
雪がはらりと落ちる。
音は小さいが
確かに山は動いていた。
冬は眠っているのではない。
ただ、静かに息を整えているのだ。
ふいに
斜面の向こうで雪が崩れ
小さな影が走った。
鹿だ。
二人は追わず
ただその姿を見送る。
「逃げる力も
冬を越える力だ」
祐兵の言葉に
豊久は静かに同意した。
木の根元には
霜に縁取られた草があり
その一本だけが折れずに立っている。
「強いのではない。
折れぬ形を知っている」
自然は語らぬが
目を凝らせば、多くを教えてくれる。
冬は、それを最も分かりやすく示す季節だった。
日が傾き
山は青から橙へと色を変える。
二人は踵を返し
来た道を戻り始めた。
「今日は
何も起こらなかったですな」
豊久が言う。
「それが何よりだ」
祐兵は微笑んだ。
自然は、人に何も強いぬ。
ただ在り方を示すだけだ。
それをどう受け取るかは
人次第である。
町の灯が見え始め
山の静寂は背後に残る。
冬の自然は今日も変わらず
静かに
確かに、生きていた。




