第七十四話 冬町に差す無言の影
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
冬の昼下がり、飫肥の町は静かだった。
伊東祐兵と島津豊久は
買い出しを終え、雪の残る通りを並んで歩いていた。
そのとき、路地の角で足を止める娘の姿が見えた。
娘は俯き、動けずにいる。
その正面には
禿げ頭に丸眼鏡をかけた
痩せた男が立っていた。
男は何も言わない。
ただ、じっと娘を見下ろし
一歩、また一歩と距離を詰めている。
娘は後ずさるが
逃げ道を塞がれるように立ち位置を変えられた。
祐兵は眉をひそめ
「……妙だな」
と低く呟いた。
二人が近づくと
男は祐兵たちに気づいても
一切言葉を発しなかった。
眼鏡の奥の目だけが
ぬらりと動き
娘から祐兵へ
そして豊久へと移る。
娘の手は震えている。
「大丈夫だ」
豊久は静かに声をかけ
娘の前に半歩出た。
それでも男は黙ったまま
じり、と一歩踏み出す。
まるで人形のような動きだった。
「……無言で詰め寄るとは、
余程、心得がないらしい」
祐兵の声は低く
しかしはっきりと通った。
周囲の空気が
冷えた雪よりも重く沈む。
祐兵が男の進路に立つと
男は初めて立ち止まった。
それでも、何も言わない。
「娘が嫌がっている。
それが分からぬほど鈍いか?」
祐兵の問いにも、男は答えない。
ただ、口の端をわずかに歪め
不気味な笑みとも取れる表情を浮かべた。
次の瞬間
豊久が一歩前へ出る。
「このまま続けるなら
我らが相手になるが?」
その声に
男の肩が僅かに震えた。
視線が泳ぎ
周囲の視線が集まっていることに
ようやく気づいたのだろう。
男は舌打ちもせず
無言のまま身を翻し
雪を蹴って逃げ去った。
男の姿が消えると
町は元の静けさを取り戻した。
娘は大きく息を吐き
深く頭を下げる。
「……ありがとうございました」
「無事で何よりだ」
祐兵はそう言って、娘を促した。
豊久も穏やかに頷く。
「ああいう者は、言葉を交わさぬ分
余計に質が悪いですな」
二人は再び歩き出す。
雪を踏む音が
先ほどよりもはっきりと響いた。
「冬の町は静かだが
静けさに紛れる影もある」
祐兵の言葉に、豊久は深く同意した。
白い息を吐きながら
二人は何事もなかったかのように
冬の町を進んでいった。




