第六十九話 冬の口論
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
冬晴れの昼下がり
伊東祐兵と島津豊久は
飫肥の城下を散策していた。
冷たい風はあるが、通りには活気があり
冬の日常が静かに流れている。
やがて前方から荒々しい声が聞こえた。
「こんな看板、見ているだけで腹が立つわい!」
声の主は、腹の出た体つきの
禿げ頭の男であった。
彼は菓子屋の店先で店主に詰め寄り
看板を指さして怒鳴り散らしている。
店主は困った様子で
「当店は、代々この書でして…」
と説明するが
男は聞く耳を持たない。
祐兵と豊久は視線を交わし
そっと足を向けた。
「こんな字、下品で見苦しいわ!」
禿げ頭の男は腹を揺らしながら怒っている。
店主は苦笑を浮かべるしかない。
祐兵が静かに口を開いた。
「この店の看板は長く町に親しまれてきたもの。
美しいか否かを決めるのは、貴殿一人ではありますまい」
豊久も穏やかに続けた。
「気に入らぬなら見なければ良い。
しかし、店主殿を責める筋ではない」
男は振り返り
二人の武士の姿にぎょっとした。
「な、なんじゃ貴様らは!」
祐兵は淡く笑みを浮かべた。
「ただ、道理を言ったまでだ」
男は鼻息荒く黙り込み
肩を震わせながら睨みつけてくる。
周囲にはいつの間にか人だかりができていた。
男は気まずくなったのか、さらに声を荒げた。
「ふ、ふん!偉そうに説教をしおって!」
禿げ頭が光るほど顔を赤くし
足を踏み鳴らして怒る。
豊久が静かながら鋭い声で言った。
「己の怒りに任せて他人を傷つけるのは
何よりも品を欠く行いですぞ」
その言葉は、男の胸に
針のように刺さったらしい。
口をもごもご動かした後
「だ、誰がそんなこと……覚えておれ!」
捨て台詞を吐き
禿げ頭を揺らしながら
早足で逃げるように立ち去った。
店主はほっとため息をつき
深々と二人に頭を下げた。
場の空気が落ち着くと
店主は温かな茶と菓子を出し
「お手数をおかけしました」
と礼を述べた。
祐兵は看板をじっと眺め
「飫肥らしい良い書だ。
長く続く店には、理由がある」
と頷いた。
豊久も頷きながら菓子を味わい
「怒りは寒風のようなもの。
一時は強く吹いても、
やがて静まるものですな」
と呟いた。
店主は安堵の笑みを浮かべ
「今日のことは励みになります」
と頭を下げる。
二人は店主に別れを告げ
再び冬の町を歩き出した。
冷たい風のなかにも人の温かさがあり
町は静かな日常を取り戻していた。




