第六十五話 霜夜に湯気立つ鍋
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
その日の飫肥は朝から刺すような冷え込みで
庭の水面には薄氷が浮かんでいた。
伊東祐兵は
外から戻ると、手をこすりながら言った。
「これは鍋でも作らねばやっていけぬ寒さだな」
島津豊久が火鉢の前で頷く。
「うむ。体の底から温まるものが欲しいですな」
すると小春と黒猫が
二人の会話に合わせるように鳴き
鍋という言葉に敏感に反応した。
「よし、今日は根菜の味噌仕立てとしよう」
祐兵は袖を捲り
台所に湯気を満たす仕事へと取りかかった。
大根は厚めに、里芋は丁寧に皮をむき
干し椎茸は水で戻して香りを深くする。
「冬の大根は甘いですな」
豊久が手伝いながら言うと
祐兵も満足げに頷いた。
鍋に味噌と出汁を合わせると
ふわりと温かい香りが台所を満たす。
小春が鼻をひくひくさせ
黒猫は鍋の横に『待機席』を作り
じっと煮込みの様子を監視した。
「気が早いぞ、黒猫殿。まだ味さえ染みておらぬ」
豊久が笑うと
黒猫はしぶしぶ座布団へと戻った。
台所には、冬の幸せな音と匂いが重なっていく。
煮込むことしばし、具材は柔らかく
鍋の表面には味噌の色がじんわり広がっていた。
「そろそろ仕上げだ」
祐兵は柚子皮を少し削り
湯気の中へそっと落とした。
その瞬間、ふわりと爽やかな香りが立ち昇り
豊久は目を細めた。
「これは絶品の予感ですな」
小春は興奮気味に尻尾を揺らし
黒猫は鍋の前から動かなくなる。
祐兵は二匹のために
別鍋で煮た白身魚をほぐして準備した。
「猫殿の分も心得ておりますぞ」
豊久が言うと
小春も黒猫も同時に
『にゃっ』と返事をした。
夕餉の席に鍋が並ぶと
湯気と香りが冬の寒さを吹き飛ばした。
大根は箸で崩れるほど柔らかく
里芋はとろりと甘く
味噌出汁が体の芯に染みわたる。
「……これは旨い。冬の宝だな」
祐兵の言葉に、豊久も満足げに頷いた。
猫たちは用意された白身魚を夢中で平らげ
食後は火鉢の前で寄り添って丸くなる。
外では雪が静かに降りはじめていた。
「こういう夜は、鍋に限るな」
「ええ。心まで温まります」
二人は湯気の向こうで盃を交わし
冬の静かな幸福が静かに満ちていった。




