第六十話 雪野をゆく二人
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。あの作品で有名。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
冬の朝、飫肥の空は薄い雲に覆われていたが
風は穏やかで、散歩にはちょうどよい。
伊東祐兵は外套の紐を結びながら
「少し歩いてみるか」と呟いた。
島津豊久は手袋をはめ
「良い心掛けですな。冬こそ体を動かさねば」
と笑う。
小春と黒猫は名残惜しそうに鳴いたが
今日は留守番だと説き聞かせると
二匹は火鉢の前で丸くなった。
館を出た二人の吐く息は白く漂い
雪は薄く積もり
世界を静かに包んでいた。
城下の道には踏み固められた雪が残り
歩くたびにぎゅっ、と音を立てる。
「この音、好きですな」
豊久が足元を見ながら言うと
祐兵も微笑んだ。
「冬の散歩でしか聞けぬ音だ」
道端では商人が雪を払う手を止めて挨拶し
子どもたちは凧を抱えて走り回っている。
二人は時折立ち止まり
飫肥の冬景色を眺めた。
屋根の上には薄い雪が積もり
木々は凍りついたように静かだ。
「冬の町も悪くないな」
祐兵の言葉に
豊久は
「むしろ趣があるほどです」
と答えた。
城下を抜けて小川沿いの道に入ると
水音がかすかに響いていた。
川面には薄氷が張り
その隙間を澄んだ水が流れていく。
「静かだな……」
祐兵がつぶやくと
豊久は耳を澄ませて言った。
「鳥も少ない季節ですが
それでも生きものの気配はありますな」
遠くで雪の落ちる小さな音がして
二人は思わず振り向いた。
誰の姿もなく、ただ雪が
ふわりと舞い上がっただけだった。
「自然というものは面白い」
豊久が笑うと、祐兵もうなずき
また歩き始めた。
日が少し傾き始めたころ
二人は館への帰路についた。
空は淡い灰色に変わり
冬特有の冷たい光が差している。
「良い散歩であったな」
祐兵が言うと、豊久も深く息を吐いた。
「ええ。体も心も軽くなりました」
館に戻ると、小春と黒猫が
待っていたかのように走り寄ってくる。
「ただいま」
祐兵が言うと、二匹は足元にすり寄り
火鉢の方へと誘うように歩いた。
温かい部屋に戻ると
散歩で冷えた身体の感覚がほどけていく。
「明日も歩けると良いな」
豊久が言った。
冬の散歩は、心に静かに灯をともすものだった。




