第五十二話 太吉の夢を見る夜
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。あの作品で有名。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
その夜、飫肥の館には深い静寂が満ちていた。
雪はしんしんと降り続け
囲炉裏の火だけがかすかに揺れている。
伊東祐兵は帳場の机に向かっていたが
ふと手が止まった。
「あの子は、もっと学べたはずだった……」
胸の奥に重たいものが沈む。
隣の部屋では島津豊久も寝つけず
静かにため息をついていた。
「太吉殿の声が、まだ耳に残っております……」
二人は言葉を交わさぬまま
同じ悲しみに胸を締め付けられていた。
そのまま、祐兵は深い眠りへ落ちていった。
夢の中で、祐兵は白い雪原に立っていた。
どこまでも続く冬の原。
風の音すらしない世界の中に
小さく人影が揺れている。
「……太吉?」
振り向いた少年は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「あの時の書、続きを読みたかったのです」
祐兵は胸が詰まり、言葉が出なかった。
「祐兵さま……悲しまないでください。
僕は、お二人に出会えて嬉しかった」
雪が舞い、太吉の姿は少しずつ遠のいていく。
「待て、まだ教えたいことがある……!」
祐兵は手を伸ばしたが
少年の姿は雪明かりの中に溶けていった。
同じ頃、豊久もまた夢を見ていた。
薄明るい小径で、太吉が静かに佇んでいる。
「豊久さま、刀の稽古……続きがしたかったです」
「太吉殿……!」
豊久は涙がこぼれそうになりながら膝をついた。
「私は……守れなんだ。すまぬ」
しかし太吉は首を振った。
「違います。守ってくれました。
父も母も、僕も……最後まで怖くありませんでした」
その言葉は、豊久の胸に深く染み込んだ。
「どうか、お二人は……笑っていてください」
太吉の背に光が差し
やがて少年は霧のように消えていった。
祐兵と豊久は、同じ時刻に目を覚ました。
外では雪が静かに降り続き
館にはまだ夜気が漂っている。
「……祐兵殿」
「……豊久殿」
互いに夢を語らずとも
その顔を見れば分かった。
二人の心には、確かに太吉の声が残っている。
「太吉は、我らに歩む道を示してくれたのかもしれぬ」
祐兵が言うと、豊久も深く頷いた。
「あの子のためにも……恥じぬ生き方をせねば」
窓の外、雪の向こうに淡い光が見えた。
まるで太吉が微笑んでいるかのように
夜明けの白さが静かに広がっていった。




