第四十八話 天狗宿る古木
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。あの作品で有名。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
冬の朝、飫肥の山道には薄く霜が降り
木々は静かに白い息を潜めていた。
伊東祐兵と島津豊久は
山里に暮らす者から『不思議な木がある』と聞き
軽く散策に出ていた。
「たしかこの先だと申しておったな」
「はい、祐兵殿。冬でも葉を落とさず
夜に風のないのに揺れるとか」
やがて、杉木立の奥に一本だけ色の濃い大木が現れた。
幹はねじれ、枝は空へ向かって大きく広がっている。
「……尋常ではない気配ですな」
豊久が呟き、二人はそっと歩み寄った。
古木は、まるで呼吸しているように感じられた。
葉のこすれる音もないのに
枝先だけがわずかに震えている。
「風は吹いておらぬのに……」
祐兵が幹に手を触れようとした瞬間
ぱさり、と上から金色の木の葉が落ちてきた。
「これは……木乃葉天狗の羽か?」
豊久が拾い上げると、葉は小さく震え
冬の光を受けて淡く輝いた。
そのとき、森の奥から笛の音が聞こえた。
前にも聞いた、あの寂しくも優しい旋律。
「やはり、天狗殿が宿っておるのかもしれぬな」
祐兵は静かに微笑んだ。
笛の音は近づいたり、遠のいたりしながら
古木の周りを回るように響いていた。
ふいに、枝先に影が揺れた。
鳥でも風でもない――何かの気配。
「……見ておるな」
祐兵が呟くと、豊久も頷いた。
「姿を現さずとも、我らを試しておるのでしょう」
木の葉がひとひら、ふわりと舞い落ち
二人の足元に落ちた。
それはまるで
『害意なし。ここは天狗の静まる場所である』
と告げているようだった。
祐兵はそっと手を合わせ
「乱す気はない。森の平穏を守ってくだされ」
と古木に語りかけた。
笛の音がぴたりと止んだ。
そして――
森全体が深く息を吐いたような静寂が訪れた。
「祐兵殿……木が、応えておるように感じます」
「うむ。天狗殿もまた、冬を生きる者よ。
我らと同じく、静かに季節を越えるのだろう」
二人が古木に背を向けて歩き出すと
後ろで木の葉がさやりと鳴った。
風のないはずの森に
ひとときだけ柔らかな風が吹いた。
「また春になれば、天狗殿とも会えるかもしれませぬな」
「楽しみにしておこう」
雪の積もり始めた山道を戻りながら
二人はその静かな奇跡に心を温めていた。




