第四十三話 凍る川と月の影
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。あの作品で有名。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
夜の山里は深い静寂に包まれていた。
雪明かりに照らされて
飫肥の川が白く光っている。
伊東祐兵と島津豊久は
鍋の片付けを終えると
ふと思い立ち川辺へ向かった。
「祐兵殿、見てください。川が凍り、まるで鏡のようです」
「そしてその鏡には、月が映っておる」
川面に映る月は
氷の下で揺らめくようにぼんやりと光り
辺りには風の音ひとつなかった。
ただ二人の吐く息だけが、月明かりの中に淡く漂っていた。
「昔は、月を見ても心が荒ぶるばかりでした。
戦の夜は、光すら刃のように感じたものです」
豊久が呟くと、祐兵は静かに頷いた。
「戦の月は、血を映し、今の月は雪を映す。
同じ月でも、見る心が変われば姿も変わる」
その言葉に豊久は微笑み
「なるほど、月も人の心を映す鏡ですな」
と言った。
氷の上を小さな風が走り、霜がきらめいた。
その瞬間、どこからか笛の音が響いた。
「……木乃葉天狗か」
祐兵の目に、わずかに笑みが宿った。
風の中、木乃葉天狗の声がかすかに聞こえた。
『人の子よ、静けさの中で何を見る?』
祐兵は川を見下ろし、答えるように呟いた。
「命の流れだ。凍っても、下では生きておる」
天狗の姿は見えなかったが
風が頷くように吹いた。
「心が凍らぬ限り、人は春を迎えられる」
豊久は盃を取り出し、月光を受けて差し出した。
「ならば、この月に感謝を。
凍る川も、我らの心も、明日を待っている」
二人は静かに盃を傾けた。
氷の川に月が沈み
夜の空には星が瞬いていた。
祐兵は川面を見つめ、ゆっくりと息を吐いた。
「月は変わらずとも、我らの時は流れる。
それでもこうして、同じ光を見上げられることが幸いだ」
「まこと、戦を越えてなお、生きて月を見る……
それこそが我らの証でございますな」
豊久の言葉に、祐兵は頷いた。
氷が小さく割れ
川の下から水の音が聞こえた。
二人は月影を背にしながら
ゆるやかに館へと戻っていった。




