第三十八話 雪原の狩り
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。あの作品で有名。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
夜明け前の山は、まるで息を潜めていた。
伊東祐兵と島津豊久は
雪に覆われた道を静かに進んでいた。
「見事な雪原ですな……音ひとついたしませぬ」
「人の足音すら、雪が呑み込む。これぞ冬の山よ」
息が白く立ち上り、木々の枝には霜が光る。
祐兵は弓を携え、豊久は槍を背にしていた。
遠くの谷間で、キジの鳴き声が一つ響く。
「今朝の獲物は山鳥だな」
祐兵の声に、豊久が微笑みながら頷いた。
雪の中を進む二人の足跡が、まっすぐに伸びていく。
木々の陰を抜けると
開けた谷に鳥の群れが舞っていた。
祐兵は弓を引き絞り、静かに息を止める。
弦の鳴る音が短く響き
一羽の山鳥が雪上に落ちた。
「見事な一矢!」
豊久が駆け寄り、祐兵は微笑む。
「無駄な命は射ぬ。食うための狩りだ」
鳥を懐に入れ、二人は焚き火の場所を探す。
「山もまた、人のように静かに生きておるな」
「ええ、冬の山は語らずして教えますな」
雪は舞い続け、風が頬を撫でた。
焚き火を囲み、祐兵は鳥を捌いた。
火にかけた鍋に雪を溶かし、味噌をひとさじ。
「こうして煮ると、山鳥も柔らかくなる」
豊久は香りに目を細め
「この匂いだけで腹が鳴りますな」
と笑った。
やがて鍋が煮え、二人は盃を片手に鳥の汁を啜る。
「命の味とは、こういうものか」
「うむ。冷たい空気の中でこそ、温もりが沁みる」
焚き火がはぜ、雪片が火の粉に変わる。
山の静けさの中、二人の笑い声がゆっくりと溶けていった。
日が傾き、雪原は金色に染まっていた。
祐兵は矢筒を背負い直し
豊久は槍の柄を雪に突き立てた。
「今日の山は、見事に応えてくれたな」
「ええ、静けさの中にも、生の鼓動がありました」
祐兵は空を見上げ、白い吐息をひとつ。
「春が来れば、この山もまた色を取り戻す。
だが――この静寂も、忘れがたい」
豊久は頷き、火の跡に雪をかけた。
「祐兵殿、また狩りましょう。冬のうちに、もう一度」
「うむ、次は渓の魚を狙うとしよう」
雪の山道を、二人の足跡がゆっくりと続いていった。




