第三十五話 雪の日の灯籠
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。あの作品で有名。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
その日の飫肥は、朝から粉雪が舞っていた。
伊東祐兵は書院の窓を開け、静かに息をついた。
庭の灯籠の上にも雪が積もり、白い花のように見える。
「祐兵殿、今宵はひときわ冷えますな」
島津豊久が肩をすくめて入ってきた。
「こういう夜こそ、火を焚いて心を温めよう」
祐兵は机の引き出しから、一枚の木の葉を取り出した。
それは木乃葉天狗から託された、森の香を宿す葉であった。
「この香を焚けば、あの夜の風が戻ってくるかもしれぬな。」
祐兵は火鉢の炭に木の葉をそっと乗せた。
ぱちりと音がして、ほのかな香が漂いはじめる。
「……不思議な香りですな。木々と雪の匂いが混じっております」
豊久は目を細めた。
「まるで天狗殿がどこかで見ておられるようだ」
香の煙がゆらゆらと立ちのぼり
形を変えながら灯籠の方へと流れていく。
「風の道筋が、まるで導かれているようだな」
祐兵は立ち上がり、灯籠の中に火を灯した。
雪の夜に小さな炎が揺れ
薄闇の庭にやわらかな光が広がった。
「祐兵殿、見てください。煙がまるで羽のように揺れておりますぞ」
豊久の言葉に、祐兵はふと灯籠を見つめた。
そこに、一瞬だけ金の羽が光の中を舞った。
「……天狗殿か?」
風がそよぎ、どこからか笛の音が微かに聞こえてくる。
懐かしい調べ。
「木乃葉天狗は、山へ戻ってもなお我らを見守っておるのだろう」
祐兵の声に、豊久は頷いた。
「山の風と人の火……その香りが交わる夜こそ、最も美しいものですな」
雪は静かに降り続き
光と煙が一つに溶けていった。
夜が更けるにつれ、灯籠の火は小さくなった。
祐兵は香の残りを火鉢に移し、最後の香を焚いた。
「この香を絶やさぬ限り、天狗殿の心も生きておる気がする」
「ええ、たとえ姿は見えずとも、風が運んでくれるでしょう」
豊久は盃に温酒を注ぎ、二人で静かに火を見つめた。
雪はやみ、雲間から月がのぞく。
灯籠の火がその光を映し、淡く揺れた。
「また会えると良いな、あの風の友に」
祐兵の言葉に、豊久は微笑み、盃を掲げた。
その夜、飫肥の空にはひと筋の金の羽が流れたという。




