第二十九話 温酒と晩秋の語らい
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。あの作品で有名。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
夕暮れが早くなり
飫肥の町はすでに薄闇に包まれていた。
伊東祐兵は囲炉裏に鉄瓶を掛け
ゆっくりと湯を沸かしていた。
「祐兵殿、今宵は寒うございますな」
島津豊久が肩をすくめて入ってきた。
「だからこそ、今夜は温酒が良い」
祐兵は小さな徳利を火のそばに置き
香ばしい米の香りが漂い始める。
「この匂いだけで、心が和みますな」
二人は湯気を見つめ、ゆっくりと秋の夜を迎えた。
徳利から湯気が立ちのぼり、盃に淡い光が映った。
「祐兵殿、戦の頃には、こうして静かに酒を味わうことなど夢にも思いませなんだ」
「そうだな。あの頃は、一日の命を繋ぐことが精一杯だった」
祐兵は盃を傾け、遠い日の記憶をたどる。
「だが今は、火と酒と友がある。これ以上の贅沢はない」
「我らの人生も、こうして温まる時が来たのですな」
豊久は頷き笑う。
囲炉裏の火が柔らかく揺れ
外の風の音をかき消していた。
ふと豊久が盃を置き、真顔になった。
「祐兵殿、もし我らが年を取らぬ身であるなら、時の流れとは何なのでしょうな」
祐兵は静かに答える。
「年を取らぬ身でも、心は移ろう。出会いと別れ、季節の巡りが心を育てる」
「なるほど…我らが生きるとは、季節を覚えることなのですな」
「そう思えば、秋も悪くない」
祐兵は微笑みながら言った。
その言葉に豊久も笑い、盃を取り上げた。
二人の間に流れる時間が
ゆっくりと熟した酒のように深まっていった。
外では木の葉が散り
月が薄雲に包まれていた。
祐兵は炭火の残りを見つめながら、ひと言つぶやく。
「豊久殿、秋は去るが、この静けさは残るものだ」
「はい。季節が巡っても、この夜を思い出すでしょう」
二人は盃を重ね、最後の一口を飲み干した。
湯気が消え、部屋には酒と炭の香がほのかに残る。
「次に飲むときは、冬の初雪の夜ですな」
「うむ、またこの囲炉裏で」
風が障子を揺らし、晩秋の夜は穏やかに更けていった。




