第百三十五話 湯煙の静けさ
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
山あいの湯宿は
朝から白い湯気に包まれていた。
雪解け水の流れる音が、どこか遠くで響く。
伊東祐兵と島津豊久は
湯殿の縁に並んで腰を下ろした。
湯は熱すぎず、ぬるすぎず
冬にちょうどよい。
「……生き返りますな」
豊久が肩まで沈み、息を吐く。
「身体の芯まで届く」
祐兵も静かに目を閉じた。
外気は冷たい。
だが湯に触れた肌から、じわりと熱が巡る。
血が動き、重かった手足がほどけていく。
しばらく、言葉はない。
湯の揺れる音だけが、耳に届く。
やがて豊久が、ぽつりと言う。
「戦の傷も、こうしていれば忘れますな」
祐兵は少しだけ考え
「忘れるのではない。受け入れて、沈める」
湯面に小さな波紋が広がる。
外では、雪が枝から落ちた。
静かな音。
湯から上がると
身体が軽い。
肩の力が抜け、呼吸が深くなる。
縁側で、冷たい水を一口。
冬の空気が、火照った頬を撫でる。
「また来たいものですな」
豊久が笑う。
「ああ。動き続けるためにも、休む場所は要る」
祐兵は静かに頷いた。
足元では、小春と黒猫が
湯宿の板の上で丸くなり
すでに眠りかけていた。
山の湯は、言葉を多く求めない。
ただ、身体と心を整える。
二人は並んで腰を下ろし
立ちのぼる湯煙を、しばらく黙って眺めていた。




