第百十七話 冬猪
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
小春と黒猫…二人の飼い猫
夜明け前、山はまだ影を抱いていた。
伊東祐兵と島津豊久は
獣道の縁に身を伏せる。
霜を踏む音さえ慎み、風向きを読む。
冬の猪は油断ならぬ。
腹を空かせ、気も荒い。
祐兵は地面の掘り返しを確かめ
首をわずかに振った。
「近いぞ」
豊久は頷き、槍を低く構える。
二人の間に言葉はない。
合図は呼吸だけだ。
やがて、藪が揺れた。
重い足音。
黒い背が一瞬、白い息を吐く。
祐兵が一歩、間合いを詰める。
猪が突進に転じる刹那
豊久が横へ誘い、進路をずらす。
祐兵の矢が、確かに急所を捉えた。
短く、強い一撃。
山が静まり返る。
倒れた猪の熱が
冬気に白く立ちのぼる。
二人は深く息を吐いた。
「見事でしたな」
「お前の誘いがあってこそだ」
血抜きを施し、雪で刃を清める。
無駄はない。
命を奪う重さを
手順の一つ一つで受け止める。
帰路、背負い籠の重みが肩に伝わる。
足元では
小春と黒猫が距離を保ち、慎重に歩いた。
「今宵は、滋養がつきますな」
豊久の言葉に
祐兵は小さく頷く。
冬山は厳しい。
だが、正しく向き合えば
確かな糧を返してくれる。
二人は山を下り
静かな達成を胸に、町へ戻った。




