第百三話 茶の香に立つ影
祐兵さんと豊久くん 登場人物紹介
祐兵さん…伊東祐兵。紆余曲折を経て、飫肥藩初代藩主になった。知略に優れ、学問を愛する。
豊久くん…島津豊久。島津氏家臣で、島津家久の息子。武芸一筋で、まっすぐな心を持つ。
冬の昼、町外れの茶店。
湯気と焙じ茶の香りが
軒先に静かに溜まっていた。
伊東祐兵と島津豊久が立ち寄ると
店内から不快な声が聞こえてくる。
「女の淹れる茶は薄いな」
眼鏡をかけた痩せた男が
カウンター越しに嫌味を重ねていた。
店主の女性は俯き
手を止めずに急須を扱っている。
「値段の割に、気が利かん」
「客の顔も覚えられんのか」
祐兵は、音を立てずに一歩前へ出た。
「茶は、口よりも心で味わうものだ」
男が振り返る。
「なんだ、説教か?」
豊久が続ける。
「店主は、茶を淹れている。
あんたは、空気を濁している」
周囲の客が息を止める。
男は鼻で笑い
立ち上がろうとした。
その瞬間
祐兵の指が男の袖口を軽く押さえ
視線だけで制した。
力は使っていない。
だが、動けない。
「客である前に
人であれ」
低い声が
静かに響いた。
豊久は店主に向き直る。
「この方には
もう茶は不要でしょう」
男は唇を噛み
椅子を鳴らして席を立つ。
「……覚えていろ」
「覚える価値はない」
豊久が即座に返す。
男は何も言えず
戸を乱暴に開けて去っていった。
店内に
焙じ茶の香りが戻る。
店主は深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
「礼は、この美味しい茶で十分」
祐兵が言う。
差し出された湯呑から
やわらかな温みが伝わる。
「良い茶ですな」
豊久が微笑む。
外では寒風が鳴る。
だが、茶店の中は
静かで、温かかった。




