第一章 迷い込んだ洗礼 第六話
大通りを外れてからしばらくしたら住宅街にやって来た。
その一角に近藤さんの一軒家がある。着いた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
家の中に入れてもらうと一人の女性が出迎えに来る。近藤さんは彼女に何かを話すと、彼女もすぐ理解したのか、表情が和らいだ。
「彼女は私の妻のライザだ。我々異界人のことを理解してくれている」
「よろしくお願いします」
言葉は通じないかもしれないが、礼は通さないとな。
「ヨロ……シク」
「…………!」
まさかの返答に驚いた。
「ああ、ライザは僕の影響で少しだが言葉は知っているよ」
「……ああ、それで」
俺に合わせて答えてくれたことが嬉しくなり、自然と笑顔になった。
二人も笑い、少し打ち解けた。
家に来る間に二本角の獣に襲われたことを話したので、腕を水で洗った後、近藤さんに消毒液を塗ってもらい包帯も巻いてくれた。
居間の食卓にはライザさんが用意してくれた料理が置かれて、おいしい匂いが食欲を刺激する。
テーブルにはパンにバター、温かいシチュー、彩り豊かなサラダ、香ばしい匂いのする肉の塩漬けが並んでいる。
近藤さんはこんなもので申し訳ないと言ったが、俺には十分すぎる料理だ。
三人で食事を終えた後、片付けられたテーブルで俺と近藤さんは向かい合い、ようやく本題に入る。
「ふむ、ここに来る前も少し聞いたが、改めて聞くと、すごく大変だったようだね。まだ森に来る直前の記憶は思い出せないのかね?」
「はい……それ以外は覚えているんですが……」
「一時的な記憶喪失だろう、まぁ、その内に思い出すさ」
近藤さんはテーブルの上で手を組んでから言う。
「まずは、僕のことを話そう」
「今から26年前に、僕が大学に通っていた頃に大学の中庭に、ふと違和感を感じてね。興味本位で近づいたのが失敗だったよ……空間に歪みみたいなのが見えたと思ったらこっちの世界さ……」
「……空間の……歪み」
こっちに来てなければとても信じられない現象だ。
「私の場合は、この街の近くの平原で倒れていてね。偶然通りかかった商人に助けてもらったのが幸いだったよ。その後は、この街に居たアメリカ人のおじいさんに言葉を教えてもらってね。ある程度英語は話せたので良かったよ。でも最初の頃はホント苦労したよ」
その当時のことを思い出したのか苦笑しながら、話を続ける。
「大学では言語学を専攻していてね、言語やその国の文化には興味があった。こちらに来てからもこの世界のことを研究し、何年もかかったが国に認めてもらった。それで、こちらにやって来た異界人のことも任されているんだ」
「あの、聞き――」
俺が何の言葉を発しようか見抜いたのか、近藤さんはこちらに手のひらを向けて俺の言葉を遮り言う。
「君に変な希望を抱かせてはいけないから、先に言っておくよ。元の世界には戻れない……」
「…………!」
「正確に言うと戻った人は今の所いない。空間の歪みに入れば戻れるかもしれないが、また違う世界に行く可能性だってある、そもそも空間の歪み自体、発見することが難しいんだ」
「………………」
近藤さんがここにいることから、うすうす気づいてはいたが聞かずにはいられなかった。
「先程、空間の歪みの話をした時、失敗という言葉を使ってしまったが、今はこの世界に来て妻も出来、幸せを感じているよ。仕事にもやりがいを感じているし、こちらに来て良かったと思うことにしているよ」
近藤さんは俺の顔をまじまじと見つめ、力強く言葉を続ける。
「いろは君、すぐには気持ちを切り替えられないだろうが、君にはまず、この世界に順応することを勧めるよ。その為なら私は君に協力を惜しまない。最初は言葉と文字を教えよう。君が自立出来るまではここに住むといい」
「……わかりました……」
そう答えたが、自分の気持ちがまだ消化出来ずにいた。
二階の一室に俺の部屋を用意してくれた。
ベットに腰を下ろし、あの後、近藤さんが言っていたことを思い返す。
近藤さんが記録した範囲では、こちらに来た異界人は16人。その内9人は病気や俺のように魔物に襲われて街に辿り着く前に亡くなった者もいる。
この世界はいろんな魔物が街の外にはいっぱいいるということ。
俺が見た火の玉はおそらく魔法だということ。
こんな話を聞いて、物語の主人公ならワクワクする展開に胸を弾ませるんだろうが、今の俺は気持ちがまだ切り替えられない。
窓の外をただ呆然と見つめていると、涙がこぼれてきた。
「……父さん、……母さん、せっかく育ててもらったのに何にも返せなくてごめん……」
両親にも妹にも、もう会えない。
妹の陽菜とはくだらないことで、よく喧嘩をした。その喧嘩さえ、もう出来ない。
喧嘩のことを思い出した瞬間、頭にズキンと痛みが走った――。
「うっ……」
喧嘩―――。
そういえば昨日の夜、陽菜と喧嘩したんだった……。
思い出したら急に記憶が蘇る――。




