「それ、私なんだけど!?」
私はしがない侯爵令嬢。愛もない政略結婚した相手との折り合いが悪く、今日も喧嘩してしまった。
その憂さ晴らしをするために、私は変身ブローチをつけて平民の姿に見えるようにすると街に繰り出していた。
「くーっ! これこれ!」
私は平民たちが集う大衆居酒屋で、ガヤガヤとした喧騒の中、ビールを嗜んできた。
ここでしか味わえないおつまみを味わいつつ、ビールをぐびっと流し込む。貴族の令嬢ならば許されない行為が、ここでは許されるような気がして、鬱憤が溜まっているとよくここにやってきては一杯やるのが恒例となっていた。
そうして、次のおつまみを摘もうとした時、いつもお世話になっている女将さんに声をかけられた。
私はもう注文した品は全部届いたのにな、と疑問に思いながら話を聞くことにした。
「ちょっと、お客さん。席が合いていないもんだから相席いいかい?」
「ええ、どうぞ!」
私はにっこりと笑い、テーブルの上に広げている品々を私の方へ手繰り寄せスペースを作る。
周りを見ると、なるほど、大分混み合っているようだ。
まあ、こんなこともあるか、と私は気にせずビールを飲むことにする。
ちなみに酔い潰れてもいいように騎士は近くに待機させているから安心してほしい。
ガタリと目の前に座る黒い影がちらりと見えた。それになんとなしに前を見ると、席に座ったのは1人のローブを被った男だった。
その男はローブを取ろうともせず、周りをキョロキョロとしている。
ローブを被ったまま来るなんて変な人だな、と私は居心地の悪さを感じ、早めに食事を済ませて帰るか、と算段をつけ、おつまみに手をつけた。
「あ、あの」
躊躇いながら、目の前に座る男が意を決した様子で、私に話しかけてきた。
私は男性に話しかけられたことで、ナンパか何かだろうかと少し警戒しながら返事をした。
「はい、なにか?」
「メニュー表はいつ来るのだろうか……?」
「め、メニュー表……?」
貴族と富裕層以外の識字率ほぼ0%のこの国の大衆居酒屋でそんなものあるわけないじゃない、と思い、私は素っ頓狂な声をあげた。
しかし、ふと、違和感を感じた。私はこの声を知っているような気がしたのだ。そう、たった一時間前に喧嘩したあのいけすかない男。
ーーまさか、声の似ている人なんてたくさんいるだろ。
そうおもい、恐る恐る顔を上げると見知った、一時間ほど前に喧嘩したばかりのあの男の顔があった。
「っ!?!?」
私は驚きのあまり吹き出しそうになったビールをなんとか喉に流し込むも、ビールは気管支かどこかに入ってしまい、ゴホゴホとむせる。
「だ、大丈夫ですか?」
ーーな、なぜお前がここにーー!?
彼は心配そうな声色で私を声をかけてくるもの、正直それどころじゃない。
「ええ、大丈夫ですわ。おほほ」
私の顔が引き攣っていたが、鈍感な彼は気づいていないようで、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「そうだわ。メニュー表はここにはないんですよ」
「……?? そうなんですね? では、他の方々はどうやって注文しているのでしょうか」
「ああ、ここって常連が多いので、メニューを暗記していたり、それぞれお気に入りがあるのでそれを頼んでいるんです。初見さんが1人で来ることはなかなかないので、困惑されるのも当然ですわ」
「ああ、そうなのですね。では、あなたのおすすめを伺っても?」
「ええ、私のおすすめはーー」
彼に私のお気に入りの品を教えるのは非常に癪だったが、穏便にやり過ごすために私は彼に私のとっておきのおすすめを教えた。
そうすると、彼は感謝を私に伝えると、そのメニューを全て頼んだのだった。
そうして、しばらくして最初のメニューであるスープを一口口に含むと、彼の口元が緩んだのが私にも分かった。
「確かに美味しいですね。私の騎士に勧められてきたのですが、正解だったようです」
「それはよかったです。それでは私はこれで……」
ちょうど私は食事を食べ終えたところだったので、料金を席に置き立ち上がろうとした、その時。私の手が彼の手に包まれたことで、私の動きが止まる。
「な、なにか?」
ゾワゾワと鳥肌が立つのを感じながら、彼に話しかけた。
「今日はあなたのおかげでいい体験ができました。お代は私が払っておきます」
「はあ、ありがとうございます」
まあ、奢ってもらえるのなら奢ってもらうか、と彼のお言葉に甘えることにした。そして、彼にペコリと軽くお辞儀をし、その大衆居酒屋を立ち去った。
♢
次の日の午後、私は例の彼に呼び出され、彼の屋敷の応接間にやってきていた。
紅茶を飲みながら、一体なんの用なんだと彼を見やった。
すると、その視線に彼も気づいたようで話を切りだした。
「私は昨日、知り合いに勧められて大衆居酒屋に1人で行ったのだが、そこで思わぬ出会いをした」
「はあ。そうなんですね……?」
びくっと私の肩が跳ねたが、幸いなことに彼は気づいていないようだった。
ーーしかし、なぜその話を今? も、もしかして、私だとわかったのか?
と身構えるも、話の続きを聞くとどうやらそうではなさそうだった。
「彼女は、困っている私を放って置けなかったようで、『大丈夫ですか?』と声をかけてきてくれたんだ」
ーーそんな記憶ないが?
とあまりにも美化された彼の思い出に、腹立たしく思い、私は拳を握った。
「そうして、私がメニュー表がないことに困っていることを告げると、彼女は親切にも彼女のおすすめの料理を勧めてくれたではないか!」
「……まさか、それを言うためだけに……?」
まさかこんなくだらないことで呼び出されるとは、私は考えすらしていなかったため眉を顰めた。
ーー本題があるんでしょう? そうなんでしょう!?
そんな私の心の声を知らずに、彼は大きく頷いた。
「ああ、そうだ。いつも怒っている君には彼女を見習ってほしくてね。彼女は見知らぬ私にも親切にしてくれた心優しい人物だ。対して君はーー」
一拍の間を置き、彼は盛大にため息をつく。
別の女ーーまあ、私なのだがーーを普通に、婚約者である私の前で比較するなんて信じられないと思い私は叫んだ。
「それ、私なんだけど!?」
遅ればせながら、誤字報告をしてくださった方ありがとうございました!