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閉館まで残っている男



 テネグロ図書館には第一書庫から、第三書庫まである。

 第一書庫は一般向けに開放されている場所で、本を貸し出すことができる。


 第二書庫には貴重な本がおさめられていて、許可を得れば閲覧することができる。

 第三書庫は古い時代の本がおさめられている。こちらの本は古代文字で書かれており、知識がなければ読むことができない。


 リリアは第一書庫に配属されることになった。

 そんな説明を、面接の後に管理者である立派な髭と綺麗にオールバックに撫でつけた白髪交じりの髪が特徴的な男性から受けた。


「ちょうど、第一書庫の司書がやめてしまってね。ここは王家の管轄の図書館で、入職条件が厳しい。その割に給料がよくないだろう。だから、あまり就職希望者が来ないんだ」

「そうなのですか? 素敵な仕事なのに」

「そう思ってもらえると嬉しい。同じ条件だったら、殆どの人間は王城への仕官や王立研究所での就職を選ぶと思うよ」


 給料は安いけれど、働く時間は短いし残業がないのがいいところ──と、枯れ枝を思わせる皺の多い細身の彼はお茶目に片目をつぶって見せた。

 彼は、クリストファー・デニス。テネグロ図書館の管理を王家から任されている、デニス宮内卿の三男である。だがここでは身分などあってないようなものだと、明るく笑った。


「ちょうどよかった、ジョセフィーヌ君。明日から働いてもらうことになった、こちらリリア君だ。よろしくね」

「はい。あぁ、よかった。新しい人がこんなに早く来てくれたのね。一人でどうしようかと思っていたわ。前の子はほら、子供ができてね。図書館では梯子にのぼったりしなくてはいけないから危険だって、旦那さんに言われたらしくて……そんなの私が助けてあげるのに。心配性なのよきっと」


 クリストファーはリリアを面接室から第一図書館に案内した。

 あまりの蔵書の多さや広さ、並んだ書架に整然と並んだ本の数々。

 ある種の神々しいぐらいの静謐さにリリアが圧倒されていると、その中を忙しなく行ったり来たりしている女性をクリストファーは呼んだ。


 ジョセフィーヌと呼ばれた女性は、明るい金髪を無造作に一つに束ねている。

 大きな青い瞳が美しい、小柄な愛らしい女性だ。

 静かな図書館に彼女の明るい声はよく響いた。クリストファーは困ったように笑いながら「ジョセフィーヌ君、もう少し静かにね」と注意をした。


「ごめんなさい、館長。嬉しくなってしまって。よろしくね、リリアさん。私はジョセフィーヌ・カルネ。子供が一人いて、時々休むことがあるから頼らせてね」

「はい、もちろんです」


 差し出された手を、リリアは握る。

 まだ出会って一日目だが、リリアはクリストファーやジョセフィーヌのことをすっかり好きになっていた。

 彼らは──大人だ。無闇にリリアに悪意をぶつけてきたりしない。

 ここには、グリーズ家にいるときに感じるものがなにもない。

 例えば所在なさや、寂しさ、情けなさ。

 そんな感情から解放されると、肩の力が抜けたように呼吸が楽になった。


 リリアの家からテネグロ図書館までは歩いて一時間程度。乗り合い馬車を使えばもっと早いが、歩いて通えない距離ではないためにリリアは身支度を調えるとグリーズ家を出る。

 そんな生活をはじめても、エラドはリリアの変化に気づいたりはしなかった。


 そして一か月。リリアは、徐々にグリーズ家に帰ることを考えると気が滅入るようになっていった。

 リリアはエラドの浮気を知っている。

 それなのにエラドは未だ、リリアに別れを切り出さない。

 ルイーズの身請けについても、リリアに言う様子はない。


 たまに帰りが早い日は、ひどく苛立っている。暴力こそ振るわれたりはしないが、強い口調でリリアにあれやこれやと命じるようになった。

 明け方リリアがベッドで眠っていると、時折エラドがやってきて強引にリリアを起すのだ。

 そしてリリアを抱こうとする。あまりの酒臭さに、リリアがそれを拒否すると、ふてくされながらリリアのベッドで眠ってしまう。


 ──何を考えているのか、わからない。

 そこに愛など、ないくせに。 


 ──私ではない別の女に愛を囁いているくせに。


 悲しみと苛立ちで心が曇るのが嫌だった。

 仕事は楽しいからよけいに、グリーズ家に帰りたくないと思ってしまう。


 閉館前の図書館が、リリアは好きだ。皆が帰った後に誰も居ないのを確認して回る。

 本と自分だけしかいない広い建物のなかにいると、この世界には自分一人しかいないような錯覚を覚える。

 それが無性に安心できた。


 リリアは書架の間や読書のためのソファが並んだ空間、勉強のための机が並んだ空間を一つ一つ確認しながら図書館の中を歩いて行く。

 いつも最後に帰っていくクリストファーが「今日もお疲れ様、リリア君」とリリアを労って、図書館から出て行った。


 おそらくクリストファーで最後だろう。正面入り口の扉を彼は開く。そして静かに閉じられる。

 夕暮れの光が差し込む図書館には、耳が痛くなるほどの静寂が訪れる。

 ステンドグラスが玄関前の大理石のホールに美しい天使や小鳥の絵を描いた。


 クリストファーを見送ったあとに、リリアはその中央に立って両手を優雅に広げる。

 それから右足を軸にして、何度かくるりと回った。

 バレエの踊り子が踊るようにステップを踏む。

 

 それから天井を見あげて、微笑んだ。


 まるで舞台にあがった踊り子のようだ。ここに一人でいるとき、リリアは物語の主役になれたような気がする。

 

 軽快な足取りでもう一度、図書館の中を確認していく。


 すると──窓際のソファセットに、まだ座っている男がいることに気づいた。

 黒髪に夕日がおちている。白い肌が輝いて見えた。

 伏し目がちな金の瞳が、本の頁に書かれた文字を熱心に辿っている。

 

 白いシャツに、黒いウェストコート。ソファには上着が無造作にかけられている。彼の身につけているものは、どれも質がいいものだ。

 長い足を組んで、組んだ足に分厚い本を載せていた。


 二十代後半といった年齢だろうか。リリアは今まで何度か、彼を見たことがある。

 週に何度か図書館に訪れては、閉館までいる男性だ。


 だがこんなに遅くまで残っていたのははじめてではないだろうか。


 まさか人がいるとは思わずに、小さな声で歌を口ずさみ踊りながら図書館内の確認していた自分をリリアは少し恥じた。

 彼は本に夢中のようだから、見られていたとは思わないが。


 それでも、静かにしなくてはいけない図書館では褒められた行動ではない。


「……もうしわけありません、もう閉館になります」


 あまりに熱心に本を読んでいるので、声をかけるのは忍びなかった。

 それでも鍵はかけなくてはいけない。遠慮がちに話しかけると、男は顔をあげた。



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