花の荷馬車
◆
誰もが、ルイーズを見捨てた。
だから、そうするしかないと、ルイーズは考えた。
子供を一人で育てるなんて、できるわけがない。
腹の子は誰の子なのかわからないのだ。
誰にも愛されない子が腹の中で育っていると考えるだけで、おぞましい。
それはルイーズにとって、もはやなんら価値のないものだった。
むしろ、美しさを損なわせる傷にしかならない。
それでも、利用価値があるのだろうか。きっと、同情をしてもらえる。
「グリーズ家の当主のエラド様に遊ばれて、捨てられました。私のお腹には子がいるのに、まるで道具のように。私はエストラ様の元に嫁ぐと言ったのに、強引に……! エストラ様には、彼の妻のリリアをさしだすとエラド様は言ったのに。リリアはどうしてか王子殿下の恋人の座におさまっています」
エラドに追い出されて、住む家も失った。マルクスに与えられていた家は、もう引き払っている。
ルイーズは派手な生活を好んでいた。貯蓄はない。何も、ない。
その足で向かったのは、エストラ商会だった。かつてルイーズの義父が、ルイーズの嫁ぎ先として口にだした者だ。
エストラ会長に会いたいと言ったルイーズは、彼の部下によって彼の元へと連れていかれた。
ルイーズの訴えを口髭をたくわえた眼光の鋭い壮年の男は表情を変えずに聞いていた。
それから両肩をすくめて「全く、女優というのは演技が達者だ」と言った。
会長はルイーズに取り合ってくれなかった。国王や王子殿下、そして貴族と事を構えるつもりはないと言った彼の元をルイーズは絶望的な気持ちで立ち去ろうとした。
だが、商会の出口で見るからに頭と柄の悪そうな男に声をかけられた。
「さっきの話だが、金になりそうだな。最近、会長は年のせいか慎重になっている。ただの金貸しと土地の売り買いしかしようとしない」
「私の話は本当よ。エラド様はリリアを三千万ファブリスで売ると言ったの。金持ちの伯爵の娘で、今ではほら、王子殿下の恋人で、なんだかよくわからないけど、すごい財宝を見つけたんでしょ? もっと価値があるわ、きっと」
「なるほど。じゃ、その女と、財宝とやらを奪えば、俺も大金持ちってわけだ」
男は頭は悪そうだったが、血に飢えた獣のような迫力があった。
ルイーズは金が欲しかった。そして、庇護が欲しかった。当面はこの男に世話を焼かせて、金を手に入れる。そしてもっといい男を捕まえようと考えた。
ついでに──リリアに復讐をしよう。
全てを持って生まれた彼女が憎らしくて仕方ない。ルイーズが今これほどの苦境に立たされているのは、孤児だからだ。
生まれが悪いのだ。全て持っているリリアが、羨ましい。
だから、傷つけても構わない。
◆
土曜日の夕方、リリアは城に向かっていた。
明日はオーウェンの研究発表がある。今日は最終確認のために帰りが遅くなると彼は言っていた。
だから仕事が終わったら城に会いに行くと伝えた。
オーウェンからリリアは城に入るために、研究棟の通行証明書をもらっている。
それは星を模して作られたピンバッジである。それを見せれば、城門をくぐることができるとオーウェンは言っていた。
城までの道を歩いていると、途中で声をかけられた。「リリアさん、どこに行くの?」と声をかけてきたのは、荷馬車で鉢植えの花を運んでいる最中のシルヴァスだった。
「城に行く途中です。オーウェン様に会いに」
「ちょうどよかった。俺も城に行く途中でね。明日はオーウェンさんの発表会があるんでしょう? 会場を飾る花を頼まれているんだ。鉢植えと、切り花ね。量が多いから、これで二往復目だよ。オーウェンさんはいいお客さんだね。リリアさん、よかったら乗っていかない?」
リリアはシルヴァスの申し出を受け入れて、荷馬車に乗せてもらうことにした。
花が積まれた荷台の空いた場所に座ると、強い花の香りに包まれた。
シルヴァスは「よく似合う。まるで花の妖精だね」と褒めてくれた。
彼はオーウェンとは古い付き合いらしい。オーウェンと出会った時、シルヴァスはオーウェンが王族だと知らなかったのだという。「レインさんって呼んでたよ」とシルヴァスは言った。
オーウェンの頼みで、彼が王族だと知った今でも気安い態度で接しているそうだ。「おそれおおいけどね、本当は。王子様に部屋を貸してるなんて、変でしょう」とシルヴァスは笑っていた。
今の家を買い取って花屋を開いて少ししてから、オーウェンが部屋を借りたいと言ってきたのだという。
自宅と仕事場を切り離したい主義のシルヴァスは元々空き部屋に住むつもりはなかったので、「別にいいよ」と受け入れた。シルヴァスは王都の外れに恋人と一緒に住んでいる。
彼の恋人は王都の外れに土地を持つ農家だ。彼女は花を育てるのが好きで、その花をシルヴァスは売っている。
素敵な話だとリリアが言うと、シルヴァスは照れ臭そうにしていた。
荷馬車に乗り、城の門を通る。シルヴァスは通行許可書を、リリアは研究棟のピンバッジをそれぞれ門衛に見せた。
しばらく行ったところで、ナルヴィラ王女が駆け寄ってくるのが見えた。
シルヴァスに荷馬車を停めるように頼み、リリアは荷馬車から降りた。
「リリア、会いたかったわ! 叔父様に今日はリリアが来ると聞いていたから、待っていたのよ。この間借りた本の感想を、話したくて」
「もう読み終わったのですか?」
「ええ! 夜中までずっと読んでいたら、お勉強の時に居眠りをしてしまって、とっても怒られたわ」
もう日暮れだ。だが、ガス灯のおかげで城もまた王都の夜と同じかそれ以上に明るい。
荷馬車から降りてきたシルヴァスを、リリアはナルヴィラに紹介した。
シルヴァスは「王女殿下に紹介していただけるなんて、おそれおおいです。俺のようなものが」と狼狽していた。
「どのようなものなの、お花屋さん。私はお花屋さんと話してはいけないのかしら」
「い、いえ、その、俺は孤児ですから……」
「だからなんだというの? 親がいないのに立派に働いているお花屋さんのほうが、私よりもずっと偉いわ、シルヴァスさん。ね、リリア」
「ふふ、そうですね。ナルヴィラ様も、日々お勉強をされていてとても立派です」
「そうでしょう!」
ナルヴィラが得意気に胸を反らせた。
遠くから護衛たちの「ナルヴィラ様、どこですか」という焦ったような声が聞こえる。
それを気にせずナルヴィラは、「私も荷馬車に乗りたいわ」と言った。
困り果てているシルヴァスに構わずに荷馬車に乗り込もうとしているナルヴィラにリリアが手を貸そうとすると、不意に何人かの足音が暗闇の中から響いた。
そして──突然現れた顔に布を巻いた男たちが、リリアたちの周囲を取り囲んだ。




