行き場のないルイーズ
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腹が張り出してきた自分の体を、ルイーズは鏡にうつしていた。
己の美しさを、ルイーズは眺めるのが好きだ。
体形が崩れたことなど一度もない。豊かな乳房、形のいい尻や足、くびれた腰。
さほど気を使っているわけでもないのに常に変わらない体形を維持することができるのは、まさしく天からの恵みだ。
だからルイーズは、どんどん出てくる腹部に苛立っていた。
腹が出ていても美しく見えるつくりのドレスをいくつも作らせた。
朝起きたらきちんと化粧をして、体の手入れだって侍女たちに命じている。
それなのに──エラドは、ルイーズに触れてくれない。見向きもしない。
出かけたきり帰ってこないことばかりだ。
それでもいい。侯爵の妻という地位さえあれば。金と地位さえ手に入れることができれば、愛情などは、どうでもいい。
自分にそう言い聞かせてみるものの、腹立たしさは募っていく。
誰しもがルイーズを讃えた。歌姫ルイーズを求めた。それなのにエラドがまるでルイーズから興味を失ったように、言葉さえ交わさなくなっていることに苛立った。
リリアは、王子殿下の恋人だという。その上──社交界でも王都でも評判になっているらしい。
手作りのポプリやドライフラワーは幸運の力を帯びている。
とある花屋でそれを買うことができるが、それは秘密の場所なのだという。
なにを──くだらないと、ルイーズは思う。貧乏くさい女が作ったポプリなどにそんな力があるわけがない。
そもそもリリアからエラドを奪ったのだ、ルイーズは。
リリアはルイーズから夫を奪われた、負け犬。
負け犬の癖に、王子殿下の恋人になるなんて。
『野良犬』
イルマに度々そう呼ばれたことを思い出して、ルイーズは手にしていた口紅を鏡に向かって投げつけようとした。
ぱしりとその手を握られる。
「女主人は、ご機嫌斜めかな」
いつの間にか、マルクスがルイーズの背後にいた。
昨日の夜に訪れたエラドの友人たちは、飲み潰れて客室で重なるようにして眠っていた。
彼らのために用意したルイーズの知り合いの若い女たちを、彼らはたいそうお気に召したようだ。
マルクスもその中にいた。エラドもいたが、いつの間にかエラドはいなくなり、昼過ぎになってもまだ家に帰ってこない。
「起きたの。起きたのなら、帰って」
「リリア嬢を追い出して、君を迎え入れたというのにエラドは不機嫌、君はご機嫌ななめだ。もしかして、腹の子が俺の子だとばれたんじゃないか?」
「そんなわけないじゃない!」
「エラドの子だと言い張っているのだろう。その腹の出具合で子を孕み三か月とは無理があるが、坊ちゃんは気づかないのかな。世間知らずだからな」
ルイーズを背後から抱きしめながら、マルクスは言う。
久々に、男の肌のぬくもりをルイーズは感じた。
今までは毎日感じていたものだ。
誰もがルイーズに、まるで女神にでも触れるように触れて、求めたというのに──。
「ルイーズ、俺たちの子がこの家を奪う。あぁ、愉快だな。あの高慢な自尊心ばかりの強い世間知らずなお坊ちゃんは、俺たちの子をこの家の子だと思い込み育てるんだ」
「あなたの子ではないわ」
「まぁ、誰の子でもいい。ルイーズ、君は子を宿していても美しいな」
マルクスの唇が、ルイーズの首筋に落ちる。
ルイーズは、抵抗しなかった。
男のぬくもりと快楽に飢えていた。
どうせ、エラドは──帰ってこない。
そう思い、目を伏せた時だ。激しい音を立てて、扉が開いた。
「出て行け」
冷たい瞳でルイーズとマルクスを見据えて、扉をあけたエラドは、一言そう言った。
ルイーズは青ざめて、マルクスの腕の中で身を捩る。
「え、エラド様、お願いです、助けてください……っ、この男が、私を無理やり……!」
「違うんだ、エラド。ルイーズ夫人が、俺を誘ってきたんだ」
「どんな言い訳も無意味だ。劇場の者たちに色々と聞きまわり、お前たちについて調べた。マルクス、お前はルイーズに住む場所を与えていたらしいな。ルイーズ、お前はその家でマルクスと愛し合い、そして他にも男を連れ込んでいたと聞いた。劇場の女優たちは嬉しそうに話をしてくれた。よほど嫌われているようだな、ルイーズ」
ルイーズは弱弱しく首を振る。大粒の涙を零しながら、エラドに縋りつこうとした。
エラドはそんなルイーズの体を突き放した。
肩をおされたルイーズは、床に崩れるようにして座り込む。
「違います、そんな、全部嘘です……っ、皆、私が羨ましいの。だから、私に意地悪をしようとして……っ」
「底意地が悪いのだと、皆がお前について言っていた。若い女優を虐めるように皆に指示して、劇場から追い出していたと聞いた。己の年齢を詐称していたから、焦っていたのだろうとな。まったく、僕は、馬鹿だった。マルクス、ルイーズ、出て行け。二度と僕に近づくな」
「嫌です! 私のお腹には赤ちゃんが……!」
「知ったことか。僕の子ではない。お前と愛し合ったこともあったが、他人の子を腹に宿した女を愛せるほど、僕の心は広くない。マルクスにでも育ててもらうんだな」
「育てるわけがないだろ。俺は妻と娘を愛している。結婚する相手と恋愛をする相手は違うんだ。この女は結婚相手には向かない」
マルクスはやれやれと肩をすくめると、ルイーズを置いて部屋から出て行った。
一人残されたルイーズは、泣きじゃくっていた。
だがエラドは許しを与えてくれず、動こうとしないルイーズを使用人に命じて羽交い絞めにすると、家の外へと塵でも投げ捨てるように追い出した。
家の外には、ルイーズが連れてきた使用人たちがルイーズと同じように唖然とした表情で立ち尽くしていた。
皆が口々に「どういうことですか、ルイーズ様」「職があると聞いてきたら、追い出されるなんて」と、ルイーズを責め立てる。
ルイーズは泣きながら、扉を何度も叩いてエラドを呼んだ。
だがその扉は、どれほど叩いても、開くことなどなかった。




