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リリアの決意



 リリアはウィスキーの入った瓶とシガーケースを何食わぬ顔で客間に届けた。

 エラドは礼も言わずに「リリア、さがれ」と言っただけだった。

 彼の友人たちが値踏みするように、にやにやとリリアの姿を眺める。


「奥方様が可哀想だろう」

「もっと大事にしてあげないと」

「醜聞だらけのティリーズ伯爵家の娘を()()()()()()というのはわかるが、それでも。なぁ、皆」

「そうだそうだ」


 エラドの友人たちが口々に言う。

 彼らはリリアに同情をしているわけではない。リリアを貶め、からかっているのだ。

 そして──エラドが普段彼らにリリアについてなんと言っているのかが、その言葉の端々からリリアにはよくわかった。


「それでは、私はこれで。ゆっくりと過ごしてください」


 リリアは礼をして客間から出ると、パタンと扉を閉めた。

 エラドはリリアに対して一瞬同情的な視線を向けた。だが、それは気のせいかもしれない。

 そうであればいいと、リリアが望んでいたからそう感じただけなのかもしれない。


「全く、メイドもいないなんて、奥方様はずいぶん悋気が強いのだな」

「なんともまぁ、不自由な家だ」

「夜は寝るだけなのか、エラド」

「だから君は、家に帰らずにルイーズ嬢の家に入り浸っているのだな」

「あぁ──あの貧乏くさい女の顔を見ていると、気が滅入るからな」


 リリアの耳に、扉の向こう側で馬鹿笑いをする男たちの声が届く。

 リリアは静かに廊下を進んで自分の部屋に辿り着くと、誰も入ってこれないようにと内鍵を閉めた。


 それからベッドに倒れ込むようにして横になり、膝を抱えて小さくなる。

 幼いころから一人きりのベッドでそうして小さくなって眠るのは、リリアの癖だった。


 そうしていると、心が落ち着く。余計なことを考えずに、眠ることができる。

 ──けれど、今日は駄目だ。


 花束をもらって浮かれていた自分が恥ずかしい。

 エラドを運命の人だと思い込もうとしていた自分が、情けない。


 家族が欲しかった。穏やかな幸せが欲しかった。


(でも、そんなもの……見知らぬ男と逃げた母の子で、浮気相手と結婚をした父の子である私には、手に入るはずもないわね)


 諦めてしまえば、楽になる。求めるから、辛くなる。

 努力は必ず報われると、リリアは信じていた。


 けれど、そんなことはない。どんなに頑張っても、叶わないものがある。


 近いうちにエラドはルイーズという女性を『身請け』するのだろう。

 だから、リリアにドレスを売っていいと言っていたのだ。金が必要だというのは、リリアの新しいドレスを仕立てるためではない。ルイーズの身請け金だ。


 劇場で働いている者たちの多くは『事情』を抱えている者が多い。

 ルイーズの場合は身請けという言葉がでるぐらいなのだから、多くの借金を抱えているか、親に売られてしまって働かされているのか。


 詳しいことはわからないが、きっと何かしらの不幸が彼女の身に降りかかっているのだろう。


『綺麗で儚くて不幸な女に、男って弱いのよ』


 そんなことを学友が言っていたことを思い出して、リリアはくすりと笑った。

 ──大丈夫だ、まだ笑うことができる。

 

 嫉妬に身を焦がしたりしない。手に入らないものを求めて、足掻いたりもしない。

 エラドのために着飾って、彼を振り向かせることも考えたが──きっとそれは無駄な努力だろう。


 リリアは舞台で皆からの喝采をあびる歌姫には、とてもなれない。

 ルイーズを娶ることは、エラドの自尊心を満たすはずだ。

 連れ歩き社交界に顔を出せば、きっと話題になる。


 評判の悪いティリーズ伯爵家の娘である自分とルイーズでは、スタートラインが違う。

 そこには、雲泥の差がある。


「……どうにか、しなくてはいけないわね」


 ぽつりと呟いた声は、案外落ち着いていた。

 ──母のようにはならない。なりたくない。


 エラドとの子はまだ身籠っていない。リリアは自分の薄い腹を撫でる。

 伝い落ちた涙の理由が、リリアにはわからなかった。


 エラドとの子が欲しかったのか。それとも、幸せな夜への未練か。

 自分の不幸を哀れんでいるのか。そんなことをしても、なんの意味もないのに。

 

 あまり眠れない夜を過ごし、朝になって重たい頭を抱えながら、リリアは玄関に飾っていた薔薇の花を処分した。

 嬉しかったから、ドライフラワーのリースを作ろうかと思っていた。

 だが、それはしないほうがいいだろう。エラドに対する感情が強くなればなるほどに、母のようになってしまうのが怖かった。


 といっても、リリアは母のことを何一つしらない。

 どんな思いで父の傍にいたのか。どんな思いでリリアを捨てて、男と出て行ったのか。


 飲み過ぎた──と呻きながらエラドと彼の友人たちがようやく客間から出てきたのは、夕方近くのこと。おそらく、朝方まで騒いでいたのだろう。

 再び連れ立って出て行く彼らの様子を見て、「坊ちゃんは悪い人ではないのに、周りの友人が悪いのです」と侍女はリリアに、呆れたようにこっそりと言った。

 リリアは昨日のことを誰にも言わなかった。


 グリーズ家の者たちはリリアにとてもよくしてくれる。伝えれば味方になってくれる者もいるだろう。

 だが、走り出した列車は次の駅まで止まらない。

 エラドとリリアは今、別々の列車に乗ってしまった。

 エラドはルイーズと列車に乗ることを選んだのだ。


 だから──リリアにできることは、いつ離縁をされてもいいように、準備を整えることだけだ。

 例えばエラドがルイーズを妾にするとして、リリアは愛されない日陰の女として、一生鬱々生きていくのは嫌だった。


 離縁をされて父の元に戻るのも嫌だ。あの場所には、リリアの居場所はない。

 

 何のために、努力をしたのか。なんのために王都大学を卒業したのか。

 ──それはきっと、一人で生きるためだろう。


 数日後、リリアはエラドが留守にしている間を狙って一人で職業斡旋所に向かった。

 リリアの立場と学歴について受付の者に告げると、いくつかの仕事を紹介された。

 その中に『テネグロ図書館の司書』という仕事があったのである。




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