父との対決
オーウェンと暮らし始めてから二週間。
父からの呼び出しの手紙が届けられた。その手紙には『グリーズ家から抗議の手紙が届いている。説明をしろ』と書かれていた。
リリアは一人で行くと言ったが「君を一人にするわけがない」と、オーウェンも共にティリーズ伯爵領に向かうことになった。
父は年の半分を商売のために王都で過ごし、その他は船上にいたり、他国にいたりと、ともかく家に不在な忙しい人だ。
父に代わり、弟のアスベルが最近では領地経営を行っている。彼は父の商売を継ぐために勉強中である。
リリアよりも一つ年下の十九歳。今年で二十歳になる。
王国横断列車に乗り、列車を降りて馬車に乗り数刻。
昔は数日かかる道も、たった数時間で辿りつくようになった。家が近づくにつれて緊張していくリリアの手を、オーウェンはずっと握っていてくれた。
「何か食べて帰ろう、美味しいものがいいな。ティリーズ領は貿易業が盛んだから、珍しい料理が多くあるだろう?」
「はい。最近は、あげたサバを挟んだパンが人気です」
「魚を挟む? パンに? それは面白い。ぜひ食べたいな」
楽しそうにオーウェンが言うので、リリアも肩の力が抜けた。オーウェンが傍にいてくれる心強さを感じながらエラドと結婚する前に一度帰ったきりだった実家の扉を開くと、すぐにアスベルが駆け寄ってきてくれる。
「姉さん、お帰りなさい。会いたかった」
「アスベル、ただいま。元気そうね」
「……何故オーウェン殿下が姉さんと一緒にいるんですか?」
父によく似た面差しの弟が、訝し気な視線をオーウェンに送る。
「事情はあとで説明するわね」
「はじめまして、弟君。オーウェンだ。リリアの恋人の」
「こ、恋人……!?」
アスベルが大きな声をあげる。遠巻きにリリアたちを見ていた使用人たちも騒然となった。
ともかく父に挨拶をと、リリアはオーウェンを連れて父の執務室に向かう。
本当はエラドと離縁をした時点で父に事情を説明しなくてはいけなかったのだろう。
だが、そんな気にならなかった。手紙も送りたくなかった。
リリアは──父に、怒っていた。
アリル王女が実父に反抗的な態度を取っていたのと同じように、今まで従順だった分、怒りを抱いていた。
「お父様、お久しぶりです」
「何が久しぶりだ、リリア。エラドと離縁をしたそうだな。原因はお前の不貞。エラドは慰謝料を求めている」
執務室の扉を開くと、父と義母がいた。
父はいつも通り執務机に座り、不機嫌そうな表情でリリアを睨む。
義母はそわそわと視線をさまよわせていた。曖昧にリリアに微笑んだ。彼女はいつもそうだ。リリアを前にすると、己が被害者のような態度をとる。
「相手はそこの、オーウェン殿下だと聞いた。殿下、どういうつもりですかな。侯爵の妻になったリリアに手を出すとは。元老院の片隅で子犬のように吠えている恥知らずな子爵家の血がそうさせるのですかな」
リリアは事情も聞かずに一方的にリリアを責め、オーウェンにひどい言葉を投げつける父を睨みつける。
自分のことはともかく、オーウェンまで侮辱することは許せない。
こんな人が家族だなんて──という羞恥と、今までリリアが味わってきた孤独と苦しさ、そしておそろしさと悲しみが綯交ぜになり、頭の裏側に火花が散るような憤りを感じる。
オーウェンが何かを言う前に、口を開いた。
「お父様、私には何一つ非難されるような落ち度はありません。私は……私の出て行ったお母様のように、夫の不貞に耐えました。愛のない結婚にも耐えました。それが自分の役割だと思ったからです。誰かに認められたかった。あなたに、家族だと認めて欲しかった」
父のことは嫌いだ。だが同時に、血のつながった家族だと、リリアは縋っていたのだろう。
父に認めてもらえたら、自分に価値があると思えるような気がしていた。
だが、それは違うのだと今は思う。エラドに閉じ込められて窓から逃げ出した時、窓の外には自由が広がっているとリリアは考えた。
そしてそこにはオーウェンがいた。オーウェンも、そしてイルマや、テネグロ図書館の皆も、リリアを一人の人間として扱ってくれた。
家族に恵まれなくても、父に愛されなくても、母に捨てられても。
リリアには、きちんと居場所がある。
自分の価値は自分で決める。
「あなたの不貞に耐えかねて、お母様は運命の相手と家を出ていきました。捨てられた私は、あなたに気に入られるように振舞っていました。そうしないと、また捨てられてしまう、優秀でいなければ、従順でいなければ居場所がなくなってしまうと、怯えていました」
義母が真っ青になって震えている。
罪を突きつけられた罪人のように。実際、彼女は罪人だ。
父を母から奪った。彼女がどれほど優しく有能だとしても、リリアにとって彼女はリリアの家族を壊した人でしかない。
彼女が、嫌いだ。
「私は母のようになりたくなかった。だから、離縁をしてほしいとお願いしました。オーウェン様には助けていただきましたが、その時は恋人ではありませんでした。今の私は自由です。誰と恋愛をしても、誰かに咎められることなどありません」
「リリア! なんということを言うんだ、お前は! 育ててやった恩を忘れたのか!?」
「もう……十分恩はお返ししました。私は何年も、あなたの元で耐えました。あなたに育てられたのではありません。私を、育てさせてあげたのです。いなくなったお母様への恨みを私にぶつけることができて、よかったですね、お父様」
義母は泣きながら震えていた。
今まで何も言わずに大人しくしていたリリアの言葉が、少なからず彼女を傷つけているのだろう。
でも、それでいいとリリアは思う。
嫌われてもいい。仲良くしなくていい。もう、家族ではなくなっても構わない。
リリアはもう大人だ。十分一人で生きていくことができる。
「ティリーズ伯爵。挨拶もせずにすまなかったな。リリアからあなたのことは聞いていた。とても尊敬をする気になれず、あなたのことは捨て置いていた」
「な、なにを、無礼な……!」
「無礼なのはどちらか。私たちの話も聞かずに、先に侮辱をしたのはあなただ。あなたは理解していないようだが、私は王に最も近しい弟だ。自ら権力から離れたというだけだが、この先リリアを守るためにそれが必要ならば、爵位を得てもいいと考えている」
オーウェンはリリアの肩に手を置いた。よく頑張ったというように、リリアを引き寄せると片腕の中に隠した。
「爵位などは飾りだ、この先の時代には無意味になることを理解していない馬鹿が、多すぎてな」
「馬鹿、だと……」
「伯爵、少しは商売が得意なようだが、人を見る目はないようだ。私に阿れば、国王との繋がりができたというのにな。リリアをエラドに嫁がせて、より大きな権力を手に入れようとでも考えていたのだろうが、エラドは無能、あなたは馬鹿だと話をしてはっきりわかった。哀れなことだ」
「私を愚弄するのか、オーウェン」
「私が王族だということを、忘れたのか? たかが伯爵に、そのような口をきかれる筋合いはない。あなたが望むのならば、金を渡してもいい。あなたがリリアを育てたという費用はいくらだ? 全て私が支払おう。その代わり、今後一切リリアはティリーズ伯爵家とは関わらない」
オーウェンがそう言い切ると、父は顔を真っ赤にした。
何かを叫ぼうとする父の元に、弟が駆け込んでくる。
「父上、いいかげんにしてください! あなたはなにもわかっていない。姉さんは、苦しい立場にいたというのに僕にも妹にもいつでも優しかった。あなたも母も僕や妹を置いて仕事ばかりしていましたが、僕たちの傍にいて、僕たちを見て、愛してくれたのは姉さんです。それなのに、あなたは姉さんを責めてばかりいた。姉さんの気持ちも、考えずに」
「アスベル……」
「殿下、姉さんをよろしくお願いします。父のことはあとは僕が。……ごめんなさい、姉さん。本当は僕があなたを守りたかった」
「……ありがとう。私はお父様も、お義母様も好きじゃなかった。でも、あなたたちのことは、弟妹だと思っているわ」
オーウェンは「それでは、失礼する」と言って、リリアを連れて部屋を出た。
さっさとティリーズ家から離れたいと言わんばかりに、途中からリリアを抱きあげて歩く彼は、リリア以上に怒りを感じているようだった。




