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結婚のすすめ



 オーウェンは父王に似ている。だが、ハーヴェイは正妃に似ており、金色の髪に立派な口髭をたくわえた偉丈夫だ。釣りと馬を愛している彼は、玉座に座っていることをあまり好まない。

 王太子ゼルシウスがようやく成人を迎えた、これで玉座を譲れるといって最近ではすっかり隠居を決め込んでいる。


 オーウェンからすればまだまだ壮健で、皆がハーヴェイを必要としていると思うのだが、王国の政治は元老院と市民院が主導しているために王など玉座に座って頷いているだけだと彼は言う。

 実際にはそんなことはないのだが──父残した負の遺産の処理で、きっとハーヴェイは少し疲れてしまったのだろう。

 

 七人もの妃を娶った父の評判は、いいものではなかった。

 特にオーウェンの母を娶ってからは、若い嫁に心を奪われ税を湯水のように使っている──などと批判をされていたようだ。

 十歳から十五歳まで伯父に連れられて政治の中枢に顔を出さざるを得なかったオーウェンの耳には、そういった噂が嫌でも入ってきていた。


 ハーヴェイには、父が乱してしまった国を立て直す必要があった。

 異母弟妹も父の側妃たちも物分かりのいいものばかりではない。彼の心労を考えるだけで、オーウェンは少しうんざりした。


 それでも投げ出さずに全て丸く収めたのだ。オーウェンのことも、彼は救ってくれた。


「叔父様は相変わらず格好いいですね。まるで年を取らないみたい」

「おぉ、ナルヴィラ。オーウェンのような男が好きか?」

「そういうことではありません。叔父様は叔父様です。お兄様と同じぐらいの年に見えると言いたかっただけです」


 ハーヴェイと同じ金の髪と青い瞳をした愛らしいナルヴィラ姫が、茶会の用意をされたテラスのテーブルセットの椅子にちょこんと座って、頬を膨らませた。

 まだ十三歳のナルヴィラは、今は亡き正妃によく似ている。

 ハーヴェイの妻が亡くなったのは三年前。元々あまり体が強い人ではなく、風邪をこじらせて肺炎を起こし、そのまま帰らぬ人となった。


 ハーヴェイが玉座を息子に譲りたいと、気弱なことを言うようになったのはそれからだ。

 正妃はハーヴェイの心をよく支えていたのだろう。彼らは幼馴染だったという。

 彼女はまるで魂の片割れ。運命の人だった──などという惚気話を、オーウェンはハーヴェイから何度か聞いていた。


「見た目は若いが、オーウェンも二十六。そろそろ身を固める気になったか? 結婚の報告ならばよろこんで聞くぞ」

「いえ、私は……」

「生涯結婚しないなどと言っていたが、それはお前の母や父のことがあるからだろう。リンハルト家も厄介なことだ。未だにあの娘……マチルダは、お前の妻のつもりでいるのだろう」

「もう何年も会っていませんよ」

「それが問題なのだ。悲恋とは、本人の中で炎のように燃えあがる。恋する自分に酔うのだな。何年も捨て置かれている私はなんてかわいそうなの……! などと、枕を涙で濡らしながらお前を想っているわけだ」

「……勘弁してくれ、気持ちが悪い」


 身をくねらせるハーヴェイに、低い声で忌々し気にオーウェンは呟く。

 それからふとナルヴィラの視線に気づいて、口元に手を当てると誤魔化すように咳ばらいをした。

 気を抜くと素がでる──とは、部下たちにもよく言われている。

 オーウェンはできる限り上品な立ち振る舞いをするように気をつけている。

 何故なら自分の評判は、直接ハーヴェイの評判に繋がるからだ。


「マチルダ嬢ももう二十三歳だろう? いい加減、リンハルト家も諦めればいいのにな。元老院の末席に加えられただけでも十分だろうに」

「ええ、本当に」

「で? オーウェン、今日はどういう風の吹き回しだ。お前は俺と会いたがらない。王家と関わるのは好きではないだろう。最近はテネグロ図書館に籠って一日中本を読んでいると聞いたぞ」

「気になる文献がありまして。今はそれを読んでいます」

「期待しているぞ、オーウェン。俺はお前が歴史に名を遺すと思っている」

「本を読んでいるだけで、歴史に名は残りませんよ」


 この名が歴史に残るなど、それこそ勘弁して欲しい。

 結婚も、する気がなかった。この血が何代も続くと思うと、背筋が薄ら寒くなる。

 母に捨てられ叔父には政治の道具にされて、誰にも愛されずに、親の愛を知らずに育ったのに。

 ハーヴェイのようなよい父親になれるとはとても思えなかった。


「兄上、お聞きしたことがあります。離縁制度とは今、どうなっていますか?」

「離縁!?」

「叔父様、結婚していたのですか?」

「……いえ、私のことではなく」


 ガタリとハーヴェイが椅子から立ちあがり、ナルヴィラが目を丸くした。

 首を振るオーウェンの様子を見て大人びたナルヴィラが「なんだ、つまらないの」と言いながら、焼き菓子を口いっぱいに頬張った。

 ハーヴェイは椅子に座りなおすと、テーブルに頬杖をついて面白そうにオーウェンを覗き込む。


「お前のことではないとしたら、誰のことだ?」

「それは言えません。ですが、結婚によって苦しんでいる女性がいまして」

「お前が生きている人間の話をするとは珍しい」

「そうかもしれませんね」

「過去王国では、女性から離縁を切り出すことは禁忌とされていた。離縁についても、教会の神父が神の元に認めたら──などという、法整備もされていないものだった。だが今は、双方のサインがある離縁状を市役所に提出すれば、離縁は成立することになっている」

「男性側が認めない場合はどうなりますか?」

「女性が家を出て行き二年、夫婦としてのまともな接触がなければ、離縁は成立する」

「……なるほど」


 オーウェンは頷いた。

 エラドが離縁を拒否した場合、二年──リリアが彼から逃れることができれば、離縁は成立する。

 

「よほどその女性は酷い目にあっているのか?」

「詳しいことはわかりませんが……」

「離縁を考えているのなら、これぐらいのことは調べているはずだ。それよりもオーウェン、よい縁談の話がある。結婚をしろ、オーウェン。相手は俺の妻の、妹の娘だ。とてもいい子だぞ。会えば、お前もきっと気に入る」


 またその話かと、オーウェンは眉を寄せる。

 会うたびにハーヴェイには結婚を勧められる。だからあまり会いたくない。感謝はしているが、断るたびに気が滅入るのだ。


「……結婚したいと考えている相手がいます」

「その、離縁を考えているという女性か? 一体誰だ。庶民の女性か?」


 ここでリリアの名前を出すべきか、オーウェンは悩んだ。

 リリアが離縁を望んでいるのかさえ、わからないのに──。


「一方的な思慕は燃えあがる。それを私は今、つくづく思い知らされています」

「名ぐらい教えてくれ。誰にも言わない。俺とナルヴィラだけの秘密だ。それぐらいはいいだろう。俺もお前に結婚の申し出があるたびに断るのが大変なんだぞ」


 ハーヴェイの言うことも最もである。

 オーウェンへの結婚の打診は、ハーヴェイの元に行く。その都度ハーヴェイはオーウェンを呼び出して意向を確認し、相手に断りの手紙を送ってくれている。まるで、保護者だ。


「……リリア。グリーズ侯爵の妻です」

「あの、色々と噂の絶えない女性だな」

「叔父様、夫がある人に恋をしてはいけないのよ」

「それもそうだな。ナルヴィラ、私のようになってはいけない」

「うーん」


 ナルヴィラは納得がいかないようにじっとオーウェンを睨んだ。


「オーウェン。彼女にお前が手を差し伸べるべきだと考えているのなら、そうするといい」

「……ここまで話すつもりはなかったのに。今の話は忘れてください、兄上」

「ついうっかり、お前の結婚について承諾の返事をしてしまいそうだ。早々にお前が結婚をすると宣言をしない限りは」

「全く。あなたに背を押されなくても、自分で考えることぐらいできます」

「許せ。末弟が可愛いのだ。俺にとっては、お前は息子のようなものだからな」


 オーウェンが十五歳の時、ハーヴェイはすでに玉座についていて、その隣には王妃がいた。

 彼らはオーウェンを、確かに息子のように可愛がってくれた。


 誰にも愛されていないわけではなかったなと、オーウェンは心の中で呟いた。

 それでも恋人さえ作らなかったのは、好きになれる人がいなかったからだ。今は、違う。


 リリアは、どう考えているのだろう。

 彼女がそれでもエラドを愛しているというのならば、オーウェンには何もすることができない。


 それとも──不実な男から奪い去っていいのだろうか。

 

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