ハーヴェイとオーウェン
リリアを送り届けたあと、オーウェンはトランジエット広場からすぐ近くにある自宅に戻った。
アパートメントの三階にオーウェンの部屋はある。
一階は花屋になっており、夜になると閉じる。二階は花屋の倉庫になっているため、アパートメントというよりは貸し店舗の空き部屋に下宿をしているという感覚に近い。
寝るためだけに帰ってきているような部屋でシャワーを浴びると、オーウェンはガウンを羽織ってそのまベッドに横になった。
ベッドの横のサイドテーブルのランプの下に、リリアが作ったミミズクのハンカチが置かれている。
愛らしいそのミミズクを暗闇の中で指で辿り、目を細めた。
二十六になった今でも──幼い頃のことを、時折思い出す。
くだらない、悪夢だ。
物心つくまえにリンハルト家に預けられたオーウェンは、己をリンハルト家の両親の子だと思っていた。
だが、途中で妙だと気づいた。リンハルト家の母はどこか他人行儀で、父は兄妹たちよりも自分を妙に大切に扱った。着るものも食べるものも、オーウェンだけが特別だった。
まだ幼い妹はオーウェンに懐いていたが、兄はオーウェンに冷たい憎しみを向けていた。
『父上、何故僕だけが、高級な肉を食べるのですか。皆はパンとスープだけなのに』
『オーウェン、お前は我が家にもたらされた天の恵みだ。お前は王と妹の子だ』
『僕は……父上の子ではないのですか』
少なからず、ショックを受けた。だが同時に、やはりという気持ちもあった。
銀の髪と青い瞳をもつリンハルト家の家族の中で、オーウェンだけは黒髪だった。
金の瞳も、誰とも似ていない。
『もちろん私の子のように思っているが、違う。王はお前に王位を譲るといったのだ。だとしたら我がリンハルト家は国王の外戚ということになる。今の時世、子爵などという爵位はなんの意味もない。だが、王の外戚ともなれば話は別だ』
『……ではどうして、僕はここにいるのですか。王と母は、僕を捨てたのですか』
『違う。王には多くの子がいる。お前を城に置いていたら、誰かがお前を害する可能性があるという判断から、我が家でお前をかくまうことになったのだ。お前は王になるのだ、オーウェン』
本当に──そうだろうか。
オーウェンにはそうは思えなかった。十歳になると伯父はオーウェンを連れて王都に向かった。
伯父はオーウェンの母に、自分を元老院に入れるように掛け合った。
今までずっとオーウェンを育ててやったのだと言って。
母は王に進言をしたらしい。権力争いに巻き込みたくないからオーウェンをリンハルト家に預けたが、このままではオーウェンは王子として扱われない。せめてリンハルト家の兄を元老院に入れて欲しい。
リンハルト家がある程度力を持てば、オーウェンの後ろ盾になってくれるだろう。
母を溺愛していた王はその要求を飲んだ。当然、批判の声があがった。
元老院の会議の度にオーウェンは伯父の隣に座らされていた。他の貴族男性たちから嘲りの目を向けられていたことに、オーウェンは気づいていた。
まるで自分を王のように扱う伯父に。そして、伯父から何かを言われたのだろう、将来の妻のように振舞う従妹に、自分を憎む従兄にも──それから自分を捨てた母や自分勝手な王にも。
全て、嫌気がさしていた。
オーウェンは、人の顔色ばかり気にしている、愛想笑いばかりを浮かべている子供だった。
それは、所属する場所がどこにもなかったからだ。伯父に捨てられたら生きていけないと思い込んでいた。
「……リリア。君もきっと、自由になれる」
過去のしがらみからは逃れられない。嫌な夢を見る。時折、嫌な記憶がつい昨日のことのように思い出される。
オーウェンに手を差し伸べてくれたハーヴェイに、オーウェンは感謝をしていた。
自分一人ではどうすることもできなかった。
ハーヴェイがオーウェンを庇護下においてくれて、リンハルト家から引きはがしてくれた。
だから今、オーウェンは争いごとに巻き込まれずに、根無し草のように生きることができている。
リリアは──まるで、いつかのオーウェンのようだ。
家にしばられて、息ができなくなっている。
いや、それは違うかと、オーウェンは目を伏せた。図書館で踊っていたリリアが瞼の裏に思い出された。
彼女は生き生きとしている。自分の道を模索している。ただ流されるまま生きていたオーウェンとは違う。
だからこそ眩しく、愛しく感じるのだろう。
翌日、オーウェンは珍しく城に向かった。
城に向かうといってもいつもは研究棟に行き家に帰ることしかしていない。今日は主城に入り、王族しか入ることを許可されていない城の奥、花離宮と呼ばれている後宮に入る。
ハーヴェイは正妃しか妻がいない。後宮はかつて七人の妻がいた王の時代とは、全く別物、静かで平和だと皆口をそろえて言っている。
「オーウェン! 珍しいな、お前からここに来るとは!」
オーウェンの姿をみつけると、庭で娘の相手をしていたハーヴェイがオーウェンの元にやってくる。
ハーヴェイは四十を過ぎている。もう成人を迎えた王子の他に、子供が三人いる。
今は遅くに生まれた末娘を、掌中の珠のように可愛がっていた。
「叔父様、お久しぶりです」
「ハーヴェイ兄上、ナルヴィラ。この度は突然の訪問、失礼します」
「家族なのだから、突然訪問していい。ほら、こちらに来い。茶でも飲もう」
ナルヴィラ姫がオーウェンの手を引く。ハーヴェイがオーウェンの背を押した。
オーウェンは連れられるままに、中庭のテラスに向かった。




