オーウェンとミミズクの女性
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王城の敷地内にある研究棟の三階に、歴史編纂室はある。
歴史の保護を目的としており、その業務は多岐に渡る。古文書の読み解きや、ラファル王家の家系図の作成、貴族名簿の管理や王国各地にある史跡や美術品の保護など。
その業務の性質上フィールドワークが多く、オーウェン含めて三名の職員は出勤をせずに各地を歩き回っている場合がほとんどである。
そのため、オーウェンも週に何度かしか出勤することはない。誰もいない場所に行っても仕方ないという気持ちと、王城に行くのが面倒だという気持ちがせめぎ合い、最近では古代文字の本が多く保管されているテネグロ図書館に向かうことがほとんどだった。
二か月前、オーウェンは教会前で行われている青空市場にふらりと訪れた。
日曜日と月曜日は研究棟の休日である。同じく王家の管轄施設であるテネグロ図書館も休みだ。
そうなってくるとやることのなくなってしまうオーウェンは、かといって家にいることも退屈だと考えて身支度を整えると外に出た。
料理はできない。家事も苦手だ。ハウスキーパーを雇えないほどに金がないわけではないが、自分の居場所に誰かが入り込むことは好きではない。
ただ眠るだけの家を綺麗に保つためには極力家にいないことが重要である。
などと考えているオーウェンは、朝から大抵外に出てふらふらしている。
自分の中ではふらふらしているだけなのだが、気難しそうな外見のせいでそうは見えないらしい。
歴史編纂室の部下たちは、「黙っていると麗しの貴公子」だとよく言う。
二人の同僚は、いつの間にかオーウェンの部下になっていた。つまり今のオーウェンは室長の立場にある。
室長は定期的に国王に研究成果を発表する義務がある。ハーヴェイを怖がっている二人が彼と会いたくないために、自分を室長にしたのだと思えてならない。
それは別に構わないのだが──。
ともかく、『言葉選びが下手』で『気を抜くと素が出る』と二人に言われているオーウェンは、基本的には人と話すのが苦手だ。
そのため一日中黙ったまま街をうろうろして、食事をすませたり本屋で本を眺めたり、新しい服を買ったりしているうちに休日は終わる。
この日は、教会の讃美歌を聞こうと思い、王都にある聖ルネマリア教会の本部に向かった。
日曜礼拝では、子供たちや女性たちの歌を聞くことができる。オーウェンは熱心な信徒ではないが、歌を聞くのが好きだった。
それも、王都劇場で聞くようなものではなく、街のピアノカフェや教会の讃美歌を好んでいた。
日曜には、教会前で青空市場が開かれている。
これは誰でも店を出すことができる自由市場で、ハーヴェイの発案ではじまったものだ。
そこでオーウェンはミミズクの刺繍が入っているハンカチを買った。
白地に愛らしいミミズクが丁寧に縫われていて、一目見ただけで気に入った。
テネグロ図書館の二階にはフクロウの彫刻が置かれている。フクロウも好きだが、頭に二本のウサギのような耳があるミミズクもオーウェンは好んでいた。
「ご購入、ありがとうございます」
「これは、君が? とても、上手だ」
「はい。お褒めいただき、嬉しいです」
日よけの帽子を被った若い女性が、遠慮がちな淑やかな笑みを浮かべる。
「何故、ミミズクを」
「それは、古代文字のミミズクなんです。古代文字には、ウサギやネコやミミズクが出てきて……」
なるほどと、オーウェンはハンカチを見る。
どうりで一目惚れをしてしまうはずだ。そのミミズクは確かに、オーウェンが研究をしている古代文字に時折見られる形をしていた。
オーウェンは古代文字の鳥を、『謎の鳥』と思っていたが、女性はミミズクだと考えているらしい。
確かに言われてみれば、あれはミミズクだ。
もっと彼女と話したかった。だが女性の店は人気らしく、オーウェンが話をしていると背後に行列ができあがりはじめていた。
オーウェンは軽く会釈をして彼女から離れた。
それから一か月後。オーウェンがいつものようにテネグロ図書館に行くと──ミミズクの女性がいた。
音を立てずに優雅に働く彼女の姿を見ていたくて、第三書庫から古代の本を持ってくると第一書庫の窓辺の席に座るようになった。
下心が──あったというわけではない。
彼女に話しかけたい、親しくなりたいなどとは考えていなかった。
ただ、時折視界の隅に彼女がうつるのが好きだった。
それだけだったのに。
本に夢中になって時間を忘れてしまった。気づくとミミズクの女性が、可憐な声で歌を歌いながら軽やかに踊っていた。
テネグロ図書館は、森の中にある劇場になったかのようだ。
本はフクロウや小鳥になって彼女の周りを飛び回り、ステンドグラスが木漏れ日のように彼女を照らす。
(なんて、綺麗なんだろう)
思わず見とれてしまい、慌てて視線を本に落とした。
そろそろ帰らなくてはいけないと考えていると──ミミズクの女性、リリアに、話しかけられた。
古代文字が読める彼女を、必死に口説いた。
研究に協力して欲しかったのは本当だ。だがそれ以上に、彼女ともう少し話したいと思ってしまった。
彼女に夫がいることはわかっている。
この思いは禁忌かもしれない。だが、もう少し。
エラド・グリーズがどんな男なのか、オーウェンはよく知らない。
ただグリーズ侯爵家は古い貴族だ。派手好きで、貴族らしい貴族だという認識はある。
そしてどうやらエラドは、不実を働いているようだ。
心の奥に冷たい怒りが湧いた。
リリアを放って他の女と遊んでいるエラドは、リリアには相応しくない。




