表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/58

離縁の覚悟



 わかっていたことなのに、実際に目にしてしまうと──土砂降りの雨の中でうずくまっているような気持ちになった。

 エラドの連れていた女性は化粧にも服にも気を使っていて、美しく輝いているように見えた。

 あの女性がルイーズかと、リリアは心の中で呟く。


 エラドがリリアのことを貧乏くさい女だというはずだ。

 リリアが路傍の石ならば、彼女は晴れた日の満月のようだ。


 二人を乗せた馬車がどこかに去っていく。リリアは何も言わずに、帰路を急いだ。 

 オーウェンは黙ったまま、リリアに傘をさしだし続けてくれていた。


「……お恥ずかしいところを、お見せしてしまいました。もうしわけありません」

「何も、恥ずかしいところなど。……聞かないほうが、いいだろうか。君の個人的なことは」

「あなたは私に教えてくださいました。きっと、話したくないことも」

「いや。私の場合は、隠すことなど特にない。だから、私が何を語ろうと、君は口を噤んでいていい」

「私も、隠しているわけではないのです」


 ただ──誰かに話すようなことでもないと、思っているだけだ。

 家までは遠い。

 見られてしまった以上、オーウェンには事情を伝えてしまってもいいのかもしれない。


「半年前、エラド様に嫁ぎました。エラド様は……」


 リリアは記憶を辿る。

 エラドは──思えば、はじめから。


「エラド様は、私を疎ましく思っているようでした。オーウェン様もティリーズ家の醜聞はご存じでしょう。母は私を捨てて出て行き、父は浮気相手を妻にしました」

「ある程度は、嫌でも耳に入ってくる」

「……そんな、醜聞に塗れた私をエラド様は仕方なく娶ってくださったのです。父がグリーズ家にかけあったのでしょう、王都大学卒業間近に嫁ぐことが決まりました。でも、愛はなかった」

「エラドは浮気を?」

「きっと、そうなのでしょう。運命の人をみつけたのだそうです。だから……私は、離縁をされても生きていけるように働くことにしました。お給金をいただけるのは来月ですから、そうしたら家から出て行こうと考えています」


 エラドに離縁を切り出されたら──と、思っていた。

 だが、もう終わりにしたい。

 愛しいと思ったこともあった。愛される喜びを感じたことも。

 けれど、エラドに何かを命じられることも、顔を合わせる度に苛立っている彼を見ることも。

 体に触れられることも、もう。


 あんな光景を見てしまった以上、耐えられそうにない。

 リリアは彼にとっては、ただの道具でしかない。

 ルイーズに向けるような眼差しを、リリアは向けられたことが一度もない。


「私は、エラド様の運命ではなかったのです。母も父に浮気をされました。親子揃って、幸せな家庭というものに縁がないのかもしれません」


 リリアは作り笑いを浮かべる。あまり、深刻にはなりたくなかった。

 もう割り切っている。図書館の仕事は楽しい。悪いことばかりではない。

 悪いことよりも、いいことのほうがずっと多い。

 今日も、いい日だった。珈琲は美味しくて、オーウェンが隣にいてくれる。

 リリアが一人きりの時にあの光景を見ていたら、もっとふさぎ込んでいただろう。


「話を聞いてくださってありがとうございます、オーウェン様」

「……リリア、笑わなくていい」

「え……」

「傷ついている時に、笑う必要はない」


 思わぬ指摘に、リリアは作り笑いを消して俯いた。

 降り続いている雨のせいで、石畳には所々水たまりができている。


「大丈夫です。私は……大丈夫。オーウェン様、私の事情などお気になさらず。エラド様の浮気現場を見ることができて、むしろよかったです。やっと、決心できました。家から出て行く、覚悟も」

「……行く場所は、あるのか?」

「これから探そうと思っています」

「家には戻らないのか」

「はい。ティリーズ家には私の居場所はありません。再び誰かに嫁ぐことになっても、同じことが繰り返されるかもしれませんから。だとしたら、一人で生きていくほうがずっといいと考えています」


 父は怒るだろうか。

 リリアには興味のない人だ。新しい嫁ぎ先を一方的に決められるだろうとは思う。

 それは避けたい。相手が誰であれ同じような思いを味わうのは、リリアにはとても耐えられそうにない。


「そうか。……リリア、もし困ったことがあったら、私を頼っていい」


 リリアは驚いて、思わずオーウェンの顔を見あげる。


「オーウェン様を?」

「あぁ。……一人暮らしには慣れている。女性が一人で物件を探すのも大変だろうし、何か、危険なことがあるかもしれない。だから」

「ありがとうございます。……こんなことを誰かに話したのははじめてです。なんだか、心が軽くなりました。それにとても、心強いです」


 今度は作り笑いではない笑顔を、リリアはオーウェンに向けた。


 グリーズ家の前にやってくると、リリアが家に入るまでオーウェンは傍にいてくれた。


「それでは、月曜に。噴水前広場で待っている」

「はい。今日はありがとうございました。おやすみなさい、オーウェン様」

「あぁ。遅くまでつきあってくれてありがとう。おやすみ、リリア。いい夢を」


 玄関先で挨拶をして、手を振って雨の中を歩いて行くオーウェンをリリアは見送る。

 その背中が小さくなっていくのに、ほんのわずかな寂しさを感じた。


 リリアは胸に手をあてる。それから、オーウェンの背に向けて頭をさげた。

  


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ