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雨の中の帰路



 リリアの休日は、日曜と月曜の二日間。

 日曜は青空市場がある。グリーズ家の者たちに任せてしまってもいいが、彼らだけを働かせて自分はオーウェンと会うというのは気が引けた。


「オーウェン様、お手伝いできる日は月曜にだけになってしまうかと思います」

「それで構わない。どこかで待ち合わせをしたい。この店の前の、噴水広場でもいいか?」

「はい。時間は?」

「早ければ早いほうがいい」

「では、九時でいかがでしょうか」

「あぁ、それで構わない。それから、テネグロ図書館に通う日、昼休憩の時間や仕事が終わった後、少しだけ私と共に過ごしてくれないだろうか」

「構いませんよ」


 今後の予定を決めて、食事を終えるとリリアたちは店を出た。

 支払いは、いつの間にかオーウェンが全てすませてくれていた。

 礼を言うリリアに「これぐらいは当然だ」と彼は言う。


 マスターとシエンナが「また来て」と言って見送ってくれる。

 すっかり降り出した雨が、街灯に照らされた街を黒く染めている。


「家まで送る」

「いいえ、そういうわけにはいきません」

「暗くなってしまった。君に、何かあったら私は送らなかったことを一生悔いるだろう」

「……グリーズ家までは、歩いて一時間ほどかかります。遠いですよ」

「それぐらい、なんでもない。乗合馬車を使おうか。今日はもう遅い」

「歩きたいと思っていて……」

「奇遇だな。私ももう少し、君と話したいと思っていた」


 雨の多い王都では、大概どの店でも傘を売っている。オーウェンはシエンナに金を渡して、黒い傘を一本買った。雨脚が思いのほか強く、何本かあった傘は売れてしまってこれが最後の一本だとシエンナは言っていた。

 

 店から出てオーウェンは傘をリリアに渡そうとした。

 

「それは、オーウェン様がお使いください」

「では一緒に入ろう、リリア。こちらに」

「……はい、ありがとうございます」


 傘をさしたオーウェンの言葉に従い、リリアは彼の隣に近づく。

 体が触れ合うほどに近い。ただ傘に入っているだけ。濡れないようにしているだけだ。

 そう自分に言い聞かせているのに、心臓がうるさく脈打った。


 これでは、まるで母と同じだ。夫がありながら他の男に恋をして、家から逃げた。

 自分はそうはならないと思っていたのに。

 オーウェンに恋をしているわけではない。ただ、その優しさにぽっかり空いた心の隙間が埋められていくようで。

 どうしても。──その気遣いや優しさに、感情が揺さぶられてしまう。


「リリアの家は、貴族街にあるのだろう?」

「はい。エラド様が、王都で過ごしたいとおっしゃるものですから。結婚してからまだ一度も領地には戻っていません」

「最近ではどの街にも役所があるだろう。街の差配については役場の官吏が行う場合がほとんどだ。領主とはその土地を持っているというだけ。土地を貸し出して税をとっていれば、生活ができる。領地にいる必要はほとんどなくなった」

「ええ、そうですね。それでは生活が立ちいかなくなるからと、父は商人になることを選びました」

「それは賢いと私も思う。そのうち、貴族も国王もいなくなるんじゃないだろうか。永遠に続くものなどありはしない。古代が滅びたように、ラファル王国もいつかは」


 なんでもないように、オーウェンは淡々とそんなことを言った。

 反王政ともとれるその意見に、リリアは驚く。

 彼の中にも、王族の血が流れているのに。

 オーウェンはリリアが何か言う前に、やや慌てたように否定の言葉を口にした。


「あぁ、違うんだ。王政を否定しているわけではなくてね。私はそれをあまり重要視していないというだけだ。話がそれたな。私は噴水広場近くに家を借りている。一人暮らしをして、六年だ。だから私は家に帰っても一人だが、君はどうして、と思って」

「使用人たちには、夕方には家に帰しています。私一人の世話をするために、夜まで働かせるというのはもったいないでしょう?」

「エラドはどうした?」

「それは……」


 リリアはふと足を止める。貴族街に向かう途中に王都劇場がある。

 それは神殿風の白亜の建物で、入り口に続く大階段から腕を組んで互いの体をぴったりと寄せ合いながら降りてくる男女の姿が見える。


 その男女に、付き人と思しき男が傘をさしている。通りには彼らを迎えるように馬車がとまっていた。

 階段から降りてくる男は、エラド。そして恋人のように身を寄せているのは恐らくルイーズだ。

 豪奢なウェーブを描く金の髪。体のラインを強調するような赤いドレス。豊かな胸に、くびれた腰。

 肩から、上等な毛皮のコートを羽織っている。

 一人で歩くことが大変そうな高いヒールをはいていて、こつこつと音を立てながら階段を降りてきていた。


「あれは……」

「オーウェン様、行きましょう」

「いや、しかし」


 エラドが丁寧にエスコートをして、ルイーズを馬車に乗せた。

 ルイーズの白い手がエラドの首に絡みつく。甘えるように顔を近づける。エラドは嬉しそうに笑って、彼女に口づけた。

 まるで、演劇の一幕のような光景だった。


 エラドが顔をあげる。その光景をオーウェンの隣で見ていたリリアと目が合った。

 彼の瞳が大きく見開かれる。一歩こちらに踏み出そうとしたところで、馬車の中のルイーズが彼の袖を引いた。


 エラドはリリアから視線を逸らすと、馬車に乗り込んだ。



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