第四章:シオン・クロップと教官その2
三人称視点です。
アンナは直前までの対戦とは明らかに異なる動きを見せていた。
慎重に、相手にかなりの警戒を向けながらの立ち回り。
無理に突っ込むことはせず左右あるいは後方に動き回る……回避に専念しているように映る動作が主となっているため、青年がアンナを追いかけ回しているかのような展開が続く。
シオンから見て、青年は間違いなく強い。
あの若さであそこまで剣が使えるようになるものかと、シオンは感心しながらその光景を見つめていた。
「アレ、何者?」
「ヘンリー・ウォルコット、一応伯爵家の次男って事になってる」
「一応……ああ、なるほど」
学園では稀に、平民貴族を問わず出自がはっきりとしない者が入学してくる事がある。
実際シオンが在籍していた当時も、真偽こそ定かではないもののそういう噂が立った人物は複数存在した。
とはいえさすがに怪しげな経歴の者をそのまま学園に入学させることはできないため、学園側は事前に厳しい身辺調査を行っている。
そしてそれをクリアするか、隆夫のように有力な保証人が存在してようやく入学が許可されるのだが……調査の過程で当該人物の出自に関する特殊な事情が判明することがある。
そしてそれは入学するにあたって問題となるものでなければ、公になることはない。
貴族の隠し子など、醜聞に直結するものがほとんどだからだ。
ヘンリーと呼ばれた青年は、まさにそういった事情を抱えた人物である。
セレーネは立場上「そういった事情がある」程度のことは聞いていたが、詳細については関知していない。
彼女としては貴族の裏事情に興味がなく、突っ込んで聞く理由が全くなかったためだ。
「こと剣においては、かつてのアンタと比較される程のモノを持ってると思うね」
そんなセレーネの興味を引いたのは、彼の剣の腕。
ヘンリーが訓練場に現れたのは一月ほど前。
他の新入生たちと比べてかなり早く入寮し、そして入寮早々に顔を出した形だ。
当然ながらそれほどまでに訓練をしたがる者はほとんどおらず、その向上心を買ったセレーネは上級生に混じっての訓練を許可したのだが……彼は既に、あまりにも強かった。
少なくともこの場にいる学生たちで、ヘンリーに敵う者はいない。
学園全体を見てもトップクラス、自身の傭兵時代を顧みても「かなりのもの」と評するに足る剣の腕。
「彼のためにアンナを駆り出したでしょう」
「悪いとは思ってるよ」
「いいんじゃない、本人も楽しそうだし」
そして残念ながらその類稀な才能故に、ヘンリーには訓練で全力を出す機会がない。
上級生に混じっての訓練を希望したのも恐らくはその機会があることを期待してのものだったのだろうが、残念ながらそれは叶わなかった。
セレーネ自身が相手をするという選択肢もあるにはある。しかし教官という立場上彼にだけ関わるというわけにはいかない。
どうにか学んだことを試す機会を与えてやりたいと思っていた矢先に隆夫たちがやってきた、という流れだ。
「というか、あれで楽しそうなのかいあの子」
アンナの表情は、戦いの前から一切変わらない。
まるで仮面でも装着しているかの如き無表情のまま。
少なくともセレーネにはそう見えており、どこをどう見れば楽しそうにしていると映るのかがまるでわからない。
シオンは学生時代からアンナの感情の機微をある程度理解できていたのだが、セレーネはその感覚が最後まで理解できなかった。
状況が動いたのはその時、セレーネの思考がシオンとアンナの学生時代を懐かしむものに変わろうとした時だった。
ヘンリーが前進とともに繰り出した突き。
速度も精度も申し分なく、並の相手であれば対応できずに終わりそうな一撃に対し───これまでは後退しながら攻撃を躱していたアンナは、合わせるように前に出た。
紙一重、半身の体勢になった彼女を掠めるように木剣が通り過ぎていく。
そうして生じた彼我の距離の変化。
この戦いで初めて、アンナが拳の間合いでヘンリーを捉える。
「おお」
誰かが上げたその声は、驚愕の色を多分に含んでいた。
その瞬間繰り出されたアンナの左拳。
寸止めを狙ったものではなく、頭を打ち抜くことを意図した打撃。
タイミングも速さも完璧と思われた一撃は、空を切った。
ヘンリーが大きく身を捩り、すんでのところでそれを回避したのだ。
尋常ならざる反応。
さすがのシオンもこれには驚き───同時に、これで終わりだろうと思った。
無茶な回避により体勢を崩したヘンリーに対し、アンナの追撃が降り注ぐ。
何度も、何度も繰り出される「倒すための打撃」。
だがその全てをヘンリーは躱し、あるいはプロテクターや剣で受けることで捌く。
回避しきれなかった拳が顔を掠め、薄く切れた箇所から僅かな出血は見られるがダメージはその程度。
まともな被弾は全くない。
「あれはキミが気に入るのもわかる」
「だろう?」
そうして一際大きな音と共に拳と木剣が衝突し、その衝撃を利用したヘンリーが大きく後ろへと跳んだことで再び二人の距離が開く。
嵐のような連打を凌ぎきったことに対して、もはやギャラリーは誰も言葉を発せない。
固唾をのんで見守る以外のことが、誰にもできなくなっている。
「続けますか?」
「ウッス」
互いに攻撃が届かぬ距離にて、二人は視線を交錯させながら短く言葉を交わす。
どうやらこの無茶な稽古を止める意思は双方共にないようだった。
「楽しそうで何より」
シオンはそうポツリと呟き、苦笑する。
彼女から見て、アンナは明らかにこの状況を楽しんでいる。
もしかすると王宮勤めによってストレスが溜まっていたのかも知れない、とも思う。
しかし残念ながら「ならば良し」などということにはならない。
───どこで止めるのが一番無難か。
シオンとセレーネ、二人は共にそんな思考を巡らせる段階に来ていた。