第四章:シオン・クロップと教官その1
三人称視点です。
学生たちが一人のメイドに次々と挑みかかり、そして次々と敗北していく。
メイド……アンナ・グッドウッドと彼らの実力差は歴然だった。
何しろアンナに対して一撃を入れるどころか、僅かでも動きを止めたり躊躇させることすらできていないのだから。
その光景をシオンはぼんやりと、壁にもたれかかりながら眺めている。
「アンタも稽古つけてくれると有り難いんだけどねえ」
「冗談キツい」
そんな壁の花に声をかけたのは、現在進行形で黒星を積み上げ続けている学生たちの教官であるセレーネ・クロス。
最初の数戦こそ彼女がアンナの対戦相手を指名していたし戦闘開始を告げる号令もかけていたのだが、今となっては戦いは勝手に始まり勝手に終わるし生徒も終わり次第次々と挑んでいる。
あまりにもアンナが強すぎることもあり、流れ作業的な立ち合いとなっていた。
「キミの教え方が悪いからあんなことになってるんじゃない」
「アタシの教え方が良かったからああなってンだよ」
彼女はそんなアンナに対して学生時代、戦闘のイロハを教え込んだ教官でもある。
セレーネの教官としての能力は低くなく、むしろ優れていると言っていい。
彼女の教え子には学園を卒業後に貴族としてあるいは軍人として活躍している者が数多くおり、こと戦闘分野においての貢献は計り知れない。
現在敗北を積み重ねている学生たちも後々そうなっていくことだろうと、嫌みを言ったシオンですらも思っている。
「相ッ変わらずアンタは協調性のきの字もない奴だね」
「死ぬまで変わらないと思う、諦めて」
アンナの同期であるシオンにとってもセレーネは教官に当たるが、実のところ二人の間にはそれ以前からの長い付き合いが存在した。
傭兵として活躍していた頃に僚友として共に戦場を駆けた腐れ縁。
エルフと人間という異なる種族故に見た目にはかなりの年齢差があるように映るが、実のところ二人は歳も近い。
あまりにも奇妙な偶然により二人は方や学生、方や教官として学園で再会することになったのだが……関係性は変化すれど付き合い方は変わらないまま今に至る、という具合だ。
「というかやる意味あるの、アレ」
そう言ってシオンが指差した体育館の中央では、相変わらずアンナが圧倒的な実力差を見せつけて勝利する光景がある。
果たしてあの敗北は学生たちにとって何か学びになり得るものなのか、シオンには全くわからない。
「王宮所属のメイドの力を肌で感じる機会なんてものはそうそうない、アンナが飽きるか希望者がいなくなるまではやらせてもらうさ」
王宮に勤めるメイドたちは家事や雑務、礼儀作法といったメイドとしての基本スキルはもとより、戦闘能力の面でも秀でたものを求められる。
これは「誰よりも皇帝の近くにいるのだから」と副次的に求められだした能力だったのだが、時が経つ程その要求水準が上昇。
今となっては王宮付のメイドと言われてまず浮かぶものがその優れた戦闘能力になってしまった程に、彼女たちは強い。
そしてそんな彼女たちだが、知名度の高さとは裏腹にその実力を知る者はそう多くない。
何しろその武が王宮を出ることがほとんどないのだ。
当然今回のように誰かと訓練をするなどという状況は稀も稀。
セレーネとしてはその希少な機会を最大限利用したかったし、学生たちもそれを理解しているからこそ次々とアンナに挑みかかっているのだ。
「すっかり教官が板についたじゃない」
「お陰様でね、アンタの方は?」
「めでたく左遷されたよ」
「これは左遷とは言わないだろう」
シオンが抜擢された任務が異世界から来た男の護衛ということは、セレーネも耳にしている。
彼女からすると、その任務に駆り出されたのがシオンとアンナの二人だという時点で護衛対象の重要性が伺い知れるというもの。
二人の帝国内での評価はそれほどに高く、しかも本件は皇帝肝いりで始まったという噂も流れている。
とてもではないが左遷とは言い難いというのがセレーネの考えだ。
「そんなに嫌な奴なのかい?あの異世界人は」
「全然、むしろ面白いよ」
「家庭教師もやってるんだっけ?物覚えが悪いとか」
「元の世界でそれなりの教育をうけてるっぽいし、頭は悪くないよ彼」
───じゃあ何がそんなに不満なんだ。
不満の理由を確かめようと振った会話で、セレーネの疑問はさらに深まった。
対象の人となりでないのならばどこに不満を抱く要素があるのか、彼女にはまるでわからない。
しかも文句を言いながら、面倒くさがりながらもシオンは現在対象の背後、何か起こればすぐに届く距離に位置取っている。
言葉と態度とは裏腹に、忠実に職務をこなしているのだ。
「何、彼に興味あるの?」
───興味があるのはアンタの心情だよ。
セレーネはそう口走りかけて口をつぐむ。
彼女には、口にすればシオンが確実に嫌な顔をするだろうという確信があった。
「なんでわからないの」とでも言いたげな顔を、だ。
セレーネとしては見慣れた表情ではあるが、向けられると地味に腹の立つ顔というのも確か。
「教授どもが大騒ぎしてるからね、異世界人がどんな奴なのかって興味があるのは否定しないさ」
「ああ、成程」
そんな理由から適当にでっち上げられた言葉に、どうやらシオンは納得したようだった。
実際、学園の教授陣の熱狂ぶりは見ていて困惑するほどに凄まじい。
少なくともセレーネがいまだかつて見たこともない程には、凄まじい。
「今年は稀代の天才とか呼ばれてる連中も入ってくるし、どこもかしこも大騒ぎだよ」
「稀代の天才は毎年いない?」
「十年に一人」「百年に一人」「誰々に並ぶ」
そんな評価とともに学園に入学してくる”天才”は実のところ多い。
だがそれは親馬鹿であったり凄まじく高い自己評価や勘違いの賜物であったりと、言われている通りの才覚を持つ者が入ってくることは殆どない。
だが、今回は違う。
「一人はメアリ・オーモンド、こっちは知ってるだろ?」
挙げられた名前にシオンは再び「ああ」と納得する。
メアリ・オーモンド……公爵令嬢の才能については有名だ。
同時に、奇人ぶりについても。
シオンもその噂を知ってはいたが、実際に本人と出会うまでそれらを親馬鹿や無責任な風聞の類と思っていた。
「合っているとすれば奇人の方だけだろう」と。
だが今となっては令嬢の才能に関して、根拠となり得るものが存在している。
───自身の姿を見るためにはかなり強い魔力など、魔導師としての才覚が必要。
それはベルガーンが口にした言葉。
それが正しいという保証はどこにもないが、恐らく事実だろうとはシオンも思っている。
「ちなみにキミ、あの魔王見えてる?」
「唐突だね、残念ながら何も見えないよ」
シオンから見たセレーネは極めて優れた戦士だったが「魔導師としても同様」とまでは言い難い。
だからこそセレーネには見えまいとシオンは考え、そしてその予想は当たった。
「しっかし魔王ねえ、一目見てみたいもんだ」
セレーネはベルガーンの姿こそ見えないまでも、そこに見えない何かがいることは理解できている。
隆夫が虚空に向かって話しかけていた際、それを見るシオンとアンナの視線が隆夫ではなく虚空の方を向いているのを見ているからだ。
「言われてみれば」という程度、極々弱いながらも気配のようなものも感じ取れる。
しかし当然ながら、セレーネにはそこにいるのがどんな者かは見当もつかない。
「見たら驚くと思うよ。それで、他にはどんなのがいるの」
シオンには気になることがあった。
セレーネはメアリの名を挙げる際「一人は」と言った。
ならば二人目三人目がいるのだろう、どんな人物なのかと……自身が始めた魔王の話を打ち切り、そちらの話題を優先させる。
「二人目……アタシにとっての本命はアイツさ」
セレーネが僅かに苦笑を浮かべながら指差したのは、シオンとしてはすっかり興味を失っていた体育館中央。
アンナによる稽古という名の蹂躙が行われている場所。
そこに、剣を携えた一人の青年が歩み出た。