第四章:その21
「お待たせしました」
そう言って戻ってきたアンナさんは、タンクトップにハーフパンツという露出の多い格好になっていた。
ただし色気よりも「強そう」という感想が先にくる。
この辺りはセレーネさんに抱いた第一印象にだいぶ近い。
メイド服の下に隠されていたのはバッキバキに割れた腹筋を始めとする、まるで彫刻のように鍛え抜かれた筋肉。
腕も脚も凄い。
細身な体型を維持しながら筋肉つけるのはかなり大変と聞いた記憶があるので、俺なら初日で投げ出すレベルのキツいトレーニングとストイックな生活を積み重ねて作り上げた肉体なのだろう。
学生たち……肉体に関してはこの学園に入学する前から鍛えているであろう面々にとってもやはりアンナさんの身体は凄いらしく、そこかしこから感嘆の言葉やため息が上がっている。
「さあ、これほどの相手と立ち合う機会なんてそうそうないよ!我こそはというものは立候補しな!」
教官の言葉に、かなりの数の学生たちが手を挙げる。
俺や俺の学生時代の同級生たちなら「お前が行け」「いえいえそちらからどうぞ」みたいな空気になってただろうが、この世界というかこの学園の生徒たちは積極的で貪欲なようだ。
かつての俺のようになんとなく学校に通ってるのではなく、強い意志と高い目標をもってここに来ているということだろう。
何と言うか、羨ましく眩しい限りである。
「それじゃまずアンタが行きな」
最初に指名されたのは、槍を持った青年。
彼は小さくガッツポーズすると、アンナさんとともに体育館の中央に歩み出る。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
互いに深々と礼。
そして青年が槍を構え───
「え、アンナさん素手?」
アンナさんが取ったのは腰を落として半身に拳を構えるという、いかにも格闘家が取りそうなファイティングポーズ。
何か武器を使おうとする様子は全くない。
これまでは期待が勝っていたのに、いざこの光景……得物を持った相手と素手で相対するという状況を目にすると不安になってくる。
そんな俺の感情など誰も意に介さず、セレーネさんの号令とともに試合は始まった。
先手、青年が繰り出したのは突き。
速度はかなり速いように思う。
ギャラリーとして離れた位置で気楽に見ているからこそ目で追えもするが、実際に相対して繰り出された場合俺が避けられるかは甚だ怪しい攻撃。
そんな一撃に対し、アンナさんが素早く一歩前に出た。
彼女の身体を捉えるかに見えた槍の先端が、まるですり抜けるように通り過ぎる。
アンナさんがごく僅かな動きで、その一撃を回避したのだ。
そして次の瞬間、青年の態勢が大きく崩れた。
見れば、槍の柄をアンナさんの右手が掴んでいる。
おそらくは槍を強く引き寄せられたことで、ただでさえ前のめりになっていた青年は踏ん張ることができなくなったのだろう。
そして、アンナさんは更に一歩前へと。
「ゴフッ」
衝突音と、いかにも「やられた」という感じのうめき声。
体育館にそれらが響くと同時に、青年の身体が宙を舞った。
アンナさんの左肘が、まともに彼の胸を捉えたのだ。
「いや強」
一瞬の出来事だった。
一瞬で対戦相手も、俺が抱いていた不安も吹っ飛んだ。
あまりにも早い、あっさりとした決着。
ギャラリーも、吹き飛び後ろの人に受け止められた青年もポカンとしている。
「人ってあんなに飛ぶんだな」と妙に感心してしまう程度には吹っ飛んだ割に、青年のダメージは少なそうに見える。
ダメージが入らないように手加減しつつ、それでいて遠くに飛ぶように殴ったということだろうか。
もしそうならどんな芸当だよと言いたい。
「ありがとうございました」
静寂に包まれた体育館に、アンナさんの声が響く。
彼女の表情は相変わらず変化がない。
ただいつも通り涼しい顔をしながら、対戦相手であった青年に向けて頭を下げる。
そこでようやくギャラリーから拍手が起こった。
俺も学生たちも、皆完全に呆気に取られていたようだ。
想定外な事が起こると固まるのは、俺みたいな一般人でも戦士を目指す者たちでも変わらないらしい。
そして拍手に押されるようにして次の相手が歩み出てくる。
今度は剣を携えた女の子だった。
「よろしくお願いします」
先程と同様に双方が頭を下げ、セレーネさんの号令とともに試合が始まる。
先程の青年と違い、女の子は仕掛けなかった。
剣を構え、様子を伺うようにアンナさんと相対する。
元々そういう慎重な戦い方をする子なのか、それとも先程の青年の瞬殺っぷりで腰が引けたのか。
果たしてどちらなのかはわからない。
いずれにしても先程とは違い二人は向かい合ったまま、どこかピリッとした空気が流れる。
そんな状況で先に仕掛けたのはアンナさん。
身を低く屈め、強く地を蹴り前へと飛び出す。
「え、速」
思わずそんな感想が漏れた。
アンナさんの動きは、先程青年が繰り出した槍の一撃よりも速い。
魔法のおかげで強化された俺の動体視力でギリギリ見えたとか、そんな感じ。
これって生身の人間が出していいスピードなんだろうか。
もしかするとアンナさんの肉体も魔法で強化されているのかも知れないが、それにしたって速すぎる。
だがそんなスピードに対しても女の子は動じない。
素早く、アンナさんの動きに合わせて剣を振り下ろす。
このままいけば射程と速度からいって、女の子の木剣の方が先にアンナさんの脳天に到達する───そんな予想をした瞬間硬い音が響き、剣が宙を舞った。
俺の目の前で、まるで写真のように静止した光景。
剣を失い丸腰となった女の子と、その顔に届く寸前で拳を止めるアンナさん。
『ほう』
ベルガーンの感心したような声が聞こえた。
いや、これたぶん本気で感心してるな。
今の一瞬で起こったことはこうだ。
自身に振り下ろされた剣の横っ面をアンナさんが殴り、剣をどこかに弾き飛ばした。
そして矢継ぎ早に繰り出された二撃目を、女の子に届く直前で寸止め。
「いや強」
もう語彙もクソもない。
知識があればアンナさんの動きをきちんと認識して解説することもできるだろうが、あいにく俺はそんなものを持ち合わせてはいない。
恐らく俺の口からは今後も同じ感想しか出てこないだろう。
「ありがとうございました」と頭を下げるアンナさんと呆然とした様子の女の子。
対照的な様子の二人を眺める俺は、心が躍るよりも引いていた。
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