第一章:シオン・クロップとベルガーン
三人称視点です
夜半。
暗いテントの中、一人の美しいエルフが目を閉じベッドに横たわっている。
女の名はシオン・クロップ。
オルランティア帝国軍情報部に属する軍人であり、階級は少尉。
もっぱら各地の遺跡調査に同行し、魔獣や野盗などから調査隊を護衛する任務に就いている人物だ。
軍属になる前は傭兵として各地を転戦していたこともあり、かなりの場数を踏んでいる彼女から見ても今回の“死の砂漠“は出現する魔獣の数が多い。
それも「群を抜いて」と修飾語をつけたくなるほどに、だ。
そのため出撃回数が嵩んでおり、まだ到着から数日しか経っていないにも関わらず他の兵士たちは既に疲労の色が出始めている。
シオン自身はまだ余裕があるとはいえ、この先は他者のフォローに追われる機会も増えるだろう。
彼女はそう考え、待機時間は努めて体力と魔力の回復に充てている。
「魔王ともなると、夜中に女の部屋に忍び込むのも当たり前みたいな感性になるのかな?」
不意に、そんな言葉とともに彼女は身を起こす。
傍らに置いた剣に手をかけた臨戦態勢で。
『ふむ、確かに礼を失した振る舞いであったな』
彼女の鋭い視線の先に佇んでいるのは、鎧のような筋肉を纏い雄牛のような角を生やしたオーガの男。
だがそんな強い存在感を放つ見た目ながら、他の者たちはその人物───魔王ベルガーンの姿を見ることも、声を聞くこともできない。
「何の用、夜伽の相手なら他をあたってくれないかな」
『この場所のことを聞きに来た』
ベルガーンの言葉に、シオンは僅かに眉を顰める。
この”名も無き城跡”でしかなかった場所に“アルタリオン“という名が付いた原因は異世界人を名乗る男、細田隆夫。
彼がもたらした……正確には傍らに立つベルガーンの言葉を”通訳”した情報は、「自分は異世界から来た」であったり「昔ここに住んでいた魔王を連れている」であったり……突然現れた胡散臭い男の話、という点を差し引いても…シオンたちにとってはあまりにも突飛だったと言わざるを得ないものばかり。
とはいえ真偽はともかく話を聞く必要はあるということになり、明日以降改めての面談が予定として組まれたのだ。
そんな状況での、あまりにも奇妙な問いかけ。
「この場所のことなら、魔王様のほうが詳しいんじゃないの?」
”死の砂漠”についての説明ならば既に済んでいると聞いているし、「かつてこの場所に住んでいた」という言が嘘だったにしても、面談の際につく嘘を相談する相手として自身はあまりにも不適当。
納得のいく理由がまるで浮かばず、シオンの頭には大量の疑問符が浮かぶ。
『余が知る限り、この地域は緑豊かな平原であった』
「そんな話は聞いたことがない」
そして次に放たれた言葉もまた、彼女を混乱させる。
彼女が知る限り“死の砂漠“は昔からずっと砂漠地帯だ。
“死の砂漠“に文明が存在しただとか、かつては緑豊かな平原だったなどという記録はどんな伝承の中にも存在しない。
現存する帝国最古の歴史書でも、周辺地域の口伝でも、この場所がその極めて過酷な環境から”死の砂漠”と呼ばれていれるということが伝わるのみ。
だからこそこの城跡は歴史的発見と言われ、数多くの考古学者が私財をなげうって同行を志願してくる程の価値が見出されているのだ。
『ならばこの場所で何があったのかも知らぬか』
「そういうのは明日考古学者に聞きなよ」
『余が見えぬ者と会話するにはあの男を経由せざるを得ぬが、彼奴が正しく余の意図を伝えられるとは思わぬ』
その言葉と表情から、シオンはどうやら魔王も魔王で苦労しているらしいことを認識した。
果たしてその苦労が他人を間に挟んで会話することと細田隆夫という人物を間に挟んで会話すること、どちらに依るものなのかは彼女にはわからない。
ただいずれにしても苦労が偲ばれたのは確か。
ここに来たのは助けを求めてに近い行動なのかもしれないと考え、彼女は苦笑した。
「私もそんなに力にはなれないと思うけどね」
シオンのベルガーンに対する印象は良いとは言えず、まだ警戒を解くには程遠い。
それでも、少しは情報を伝えてやろうという思考に至っただけでも良化したと言えるだろう。
とはいえシオンの知識は、そのあたりの一般人が知ることと大差ない。
少なくとも歴史書に残る範囲で二千年間、この場所はずっと“死の砂漠“であったということくらいのもの。
「ああ、そういえば」
ひとつ、彼女は自身の部族に伝わる伝承があることに思い至る。
エルフやドワーフ、リザードマンやオーガという亜人種を広く登用する帝国にあって、長らく重用されてきた彼女の部族。
知恵と知識、魔力に強い優位性を持つ“ヴィンテージ“という名を持つエルフの小さな集団。
そこに伝わる短い伝承。
「およそ四千年前、大きな災厄があったらしい」
そんな伝承はどんな文献にも、口伝にも登場しない。
そもそも情報がほとんど残っていないのだ。
故にそれは神話に分類されるほど太古の昔に起こった詳細すら伝わらない、真偽など論ずる段階にすら達していない出来事。
しかし何故かそんなものを“ヴィンテージ“は代々継承してきた。
『そうか』
話を聞き終えたベルガーンが放った短い言葉。
そこに含まれている感情を、彼女は読み取ることが出来ない。
『感謝するぞ、エルフの小娘』
「感謝の気持ちがあるなら小娘って呼ぶのはやめてくれないかな」
他より長い年月を生きるエルフの特性故に、シオンの実年齢は見た目よりずっと高い。
彼女にとっては年増と呼ばれることも、小娘と呼ばれることも同等に屈辱的だった。
『ならば、名を聞こう』
「ならば、じゃないんだよ」
───この自称魔王は人との会話に向かない。
ベルガーンの言は素直に名を教えたくなる類のものではなかったが、教えなければこのままずっと小娘呼びになるだろうという確信が彼女にはある。
僅かな逡巡の末、彼女は大きなため息とともに自身のフルネームを吐き出した。
「シオン・ヴィンテージ・クロップ、階級は少尉。長いからシオン・クロップでお願い」
その名を、正しくは彼女の属する部族を指すミドルネームを聞いたとき。
僅かながら魔王の片眉が上がったことに、シオンは気付かなかった。