第四章:その13
笑顔で手を振りながら壇上に現れた皇帝、クローディア・アイアンハート。
華やかに着飾った美しい皇帝の姿を目にした新入生たちの上げる「おぉ……」だとか「美しい……」といった感嘆の声がそこかしこから聞こえてくる。
隣に座っているメアリも「綺麗……」と感動しているようだった。
実際、その姿はとても美しい。
まるで絵画に描かれた人物がそのまま現実世界にやってきたかのような、現実感のない美しさ。
俺も今回が初見であれば同じように何かそれっぽい称賛の言葉でも発していたことだろう。
それか逆に言葉を失って見惚れていたかもしれない。
だが生憎と俺が皇帝陛下の姿を生で拝見するのはこれが初めてではない。
奴は毎日のように俺の部屋に酒を飲みに来るのだ、見慣れもする。
最近はマイブームなのか変装なのか仮面を装着していることが多いが、変装だとしたら逆に目立ってんぞと言いたい。
「あれ影武者?」
「陛下の影武者は本当に見分けがつかないからわからない」
少尉にわからないものが俺にわかるわけがない、解散。
正直、今壇上で柔和な笑みを浮かべている人物がオレアンダー本人だとしたら、猫の被り方がすごすぎるとは思う。
メアリもけっこう凄い猫を被るが、これはレベルが違う。
なので俺は影武者説を推したかったが……駄目だこれ、一度考えたら抜けられなくなる奴だ。
「今ここにいる皆は帝国の、そして妾にとって大切な財産である」
機械か魔法かはわからないが、何かの効果で拡大された声がホールに響く。
いつも通りよく通る声、いつもとは違う優しい語り口。
なにこれ超落ち着く。
ストレスがヤバい時に聞いたら、とりあえず明日も頑張ろうって気になるかも知れん。
『この耳障りな声、影武者ではなく本人だろう』
「耳障りて」
背後から聞こえたベルガーンの言葉は、随分と辛辣だった。
「お前あいつの声聞いたことあったっけ?」
『ある』
この言い方だとテレビでとかそういうのじゃなく実際にだな、いつの間に。
オレアンダーが来たとき何故かいつもベルガーンはいないので、会ったことないと思ってた。
「……まさかあいつが来るときいつもいないのって、会いたくないからか?」
問いに対する答えは返ってこない。
だがこの反応はきっと肯定だろう。
何故に、という疑問がまず浮かぶ。
もしかしたら会ったときに何かトラブルがあったのかもしれないし、そりが合わなかっただけかもしれない。
偉そうな二人だしそりが合わなかった可能性の方が高いか。
まあいずれにしてもあんまり根掘り葉掘り聞くべきことではないだろうし、聞いても教えてはくれないだろう。
無論気にはなるが。
「魔導学園の入学式だけは、必ず本人が出てるって噂はあるね」
「そりゃなんでまた」
「演説が終わったあと皇帝陛下に対して信仰にも似た忠誠心を持つ者が、他所でのそれと比べて圧倒的に多いらしい」
少尉の話は、やたらと物騒だった。
ただ、思い当たる節はある。
思い返すとオレアンダーの言葉って、やたらと脳に響くんだよな。
最近は慣れたせいか何も感じなくなってたけど、今回のは効いてる気がするし。
もしかして最初の頃、俺はガチ目に誘惑されていたのだろうか。
もしそうだとしたら我ながらよく耐えられたもんだ。
もしここにいる連中が皆アレと同じ感覚を味わっているのだとしたら、さぞや脳が甘く痺れていることだろう。
身も蓋もない言い方をすれば、酔っ払っているのに近い状態だ。
ふと不安になってメアリの方を見ると、目があった。
こいつ演説聞いちゃいねえ。
可愛らしく小首を傾げるな。
何故か安堵したが、同時に妙に腹が立ってきた。
デコピンでもしてやろうか。
「───近い将来、皆の才能がこの強き帝国をさらに発展させる力となることを、切に願う」
そうこうしているうちにオレアンダーの、皇帝による演説は締めと思しき文言に至る。
長すぎず短すぎず、世の校長先生や社長も見習って欲しいくらいのちょうどいい長さ。
内容に関しては、申し訳ないがほとんど聞いてなかったのでわからない。
「妾からは以上である。皆、励むように」
その瞬間、万雷の拍手が巻き起こった。
そして、大歓声。
皇帝陛下、クローディア様、アイアンハート様……様々な呼び名で壇上の女が称えられている。
その光景に満足げな笑みを浮かべ、手を振りながら去っていくオレアンダー。
それを皆が立ち上がり、盛大な拍手とともに見送っている。
立ち上がってないのは俺たち三人くらいのもの……あ、メアリが空気読んで立ち上がった。
まあ流石に公爵令嬢の挙動は周囲にも気にされるだろうしな。
ただどうしても周囲との”熱量”に差が出てしまっているが、これは仕方あるまい。
俺もそれに倣い、立ってとりあえず拍手してみる。
少尉は面倒なのか立ち上がらない。
ベルガーンは立っているが、相変わらず腕を組んだままだ。
結局拍手と歓声はオレアンダーが退場してもなお続き、俺たちもしばらくの間それに付き合わされることとなった。
「怖」
ホールに満ちる熱狂の中、俺の口をついて出たのはそんな感想。
見知らぬ宗教の集会に迷い込んだ時、もしかするとこんな気分になるのかも知れない。