第四章:その8
「何だ貴様は」
そんなテンプレートなセリフを放ったメガネに対し、少尉は素早く身分証らしきものを提示した。
文字を習い始めたばかりの俺にはまだ何が書いてあるのかわからないが、前見たとき顔写真あったしきっと身分証だろうと思う。
「帝国軍情報部所属のシオン・クロップ少尉です」
淡々とした自己紹介だったが、対するだいぶエキサイトしていたはずのメガネが気圧されている。
こいつが何にビビったのかはわからない。
少尉の肩書か名前か……もしかしたら雰囲気かもしれないな。
それはそれとして初めて少尉のフルネームを聞けて俺は感動した。
知り合ってから名前を聞けるまですげえ長かったな、と思う。
今後は親しみを込めてシオンさんとかクロップさんとか呼びたいところだが……呼んだら恐らく「気持ち悪い」と斬り捨てられるんだよなあ。
何しろ教えてもらって知ったわけではないし。
なのでこの気持ちはココロの中にしまっておいて、少尉のことはこれからも少尉と呼ぼう。
考えたら悲しくなってきた。
「皆様の疑問や懸念ははごもっともですが、彼は正規の手続きを経てここにいるとご理解ください」
少尉は性格的に、間違いなくこのやり取りをめんどくさがっている。
帰って寝たい、最悪この仕事辞めたいとかそんなことを考えていると思う。
だが仕事中の少尉はそんなことを全くおくびにも出さない。
───クールでデキる女。
それが俺の第一印象だったし、きっとこのイケメン貴族トリオも同じ印象を持つだろう。
今となってはだいぶ変な人だし「もしかしてこの人コミュ障入ってないか?」とも思うが。
「そうですか」
言いながらロングヘアーがメガネの肩に手を置く。
この動作だけ見たら「落ち着け」と言ってるように見えるだろう。
だが既にメガネは完全に少尉に気圧され、怒りも勢いも失って固まっている状態。
そうなってから止めるとか、完全にポーズだろう。
恐らくというか絶対に、俺相手なら止める気は全くなかっただろうな。
出会って間もないが、こいつはそういう奴だという確信がある。
「軍の方がそうおっしゃるのでしたら、我々は大人しく引き下がるとしましょう」
笑顔でそう宣言するロングヘアー。
「ただここは貴族寮です、問題は起こさないようにお願いしますよ?」
捨て台詞を吐き出して去っていくロングヘアー。
それに続くメガネと……三人組最後の一人。
こいつ最後まで空気だったな、空気イケメンと名付けよう。
とりあえず入口塞いでたのも絡んできたのもお前らだろうと言いたかったが我慢する。
せっかく終わりそうな揉め事を引き延ばす趣味は俺にはない。
「キミさぁ……」
そしてその後ろ姿を見送り、ゆっくりとこちらを振り向いた少尉は……とてもげんなりした顔をしていた。
「すいませんでした」
「キミ、適当に謝れば流せると思ってるでしょ」
「今は本当に申し訳ないと思ってるんで」
間違いなくご迷惑をおかけしたので頭を下げつつ謝罪したところ、なんかダメ出しを食らった。
言葉通り今回は違うが、ロン毛たち相手の時そう思っていたのは確か。
なんでバレてるんだろう、顔にでも出てたんだろうか。
ともあれ、そこはダメ出しをされても困る。
歳はこっちが上で身分はあっちが上なのだから俺の方がが折れるべきだと、そう思ってああしたのだ。
他にどうすれば良かったのか、俺にはさっぱりわからない。
「てかアレ何者?」
「サウスゲイト公爵の長男とエバンス子爵の次男……あと一人はわからないな」
少尉もそれがわかっているのか、それとも俺にはこれ以上言っても無駄だと思ったのか。
何にしても彼女はこれ以上突っ込んではこなかったし、話を変えるなとも言われなかった。
というか少尉も知らないとか空気イケメンは本当に空気だな。
ちょっと可哀想になってきたぞ。
それにしても公爵、公爵かあ。
ワンチャン殴っても許される奴だったらいいなあと思ってたが、どうやらそんなに世の中は甘くなかったようだ。
いやまあ殴って大丈夫な貴族ってどんなだよと言われると俺にもわからないんだが。
「メアリはその公爵自慢の長男にナンパされてたと……知り合い?」
「ぜんぜん!」
本気でナンパじゃねえか。
いやまあ親同士は付き合いあるのかも知れないがそれでも───
「パパも兄さんたちもあの家とは仲良くないいから、顔初めて見たんよね」
それすらもなかったわ。
紛うことなきナンパ、迷惑行為だった。
「ちょうどよくタカオ来てくれて良かった、そろそろ逃げようかなってなってたし」
メアリの気持ちはとても良くわかる。
あいつらと一緒に食べたら飯が美味くなるかと言えば、たぶんNOだろう。
あくまでも印象だが、相手のペースを無視して延々喋ってそうな印象がある。
「クロップ少尉もありがとうございました」
「仕事なので」
少尉はそう謙遜するが……いやこれ素で言ってるかもしれん。
仕事じゃなかったら横を素通りしそう、というかその姿がかなり明確に想像できる。
まあそれでもこの場に少尉がいなければ、俺はきっとメガネとケンカになっていただろう。
メガネはどう見ても手が出るタイプだ。
プライドは高くて沸点が低すぎる。
「ま、そんなことより飯だ飯」
ただでさえ居心地が悪くて味がわからない食事中にあの嫌なイケメンどものことを考えたら、味がわからないどころか不味くなる。
そんなことを考えながら歩き出した俺だったが……当たり前のようにメアリがついてきたのを確認し、足を止めた。
「待ち合わせしてるんだろ?」
正直、この問いに対する答えはだいたい想像がついている。
それでも聞かざるを得ない。
答えはわかっているが、聞く前からわかるわけにはいかんのだ。
「え、タカオ待ってたに決まってるじゃん」
何を今更。
そう言いたげなメアリを見る俺の表情は、先程同様半笑いになっていたことだろう。