第四章:その6
そして宿舎に引っ越してから数日が経った。
初めこそ居心地の悪さを感じるだろうが、すぐに慣れる。
何しろ俺は既に帝国ホテルという場で金持ちの生活レベルを体験済みなのだ。
───そんな甘い目算は早々に破綻した。
帝国ホテルと貴族寮の違い、それは人の目だ。
帝国ホテルではほとんど部屋から出ることがなかったというのもあるが、ホテル内を彷徨い歩いた時ですらほとんど人と出会うことがなかった。
フロントやレストラン、プールなどといった人が集まる空間に行けば出会ったろうし見られもしただろうが俺はそういう場所とは無縁。
他人の目が気になったのはせいぜい初日、エレベーターで二度やらかした時くらいのもの。
……思い出したくなかったことを思い出してしまった。
対してここ、貴族寮では人のいるところに行かねばならない。
例えば食事。
ここでの食事は専用の食堂で行う。
そこは当然ながら年若い貴族の子弟で溢れかえっているわけだが、そんな場所に平民の、それも年齢が一回り以上は違いそうな男が行けば嫌でも注目を集める。
その居心地の悪さたるや、入寮してから数日経っても飯の味が全くわからない程だ。
だいぶキツイので少尉に「出歩きたくないから飯運んでくれないか」と言ってみたところ、「いい大人が甘ったれるな」と却下された。
恐らく少尉はめんどくさくてそう言ったのだろう、思いっきり顔に出てたし。
とはいえ極めて真っ当な意見であり、俺に反論など出来ようはずがなかった。
アンナさんならやってくれそうな気もするが、少尉の言葉のナイフが胸に深々と突き刺さったせいで言う気にならない。
もう完全に後の祭りだが、言う順番を間違えたような気がする。
「視線が痛い」
『貴様は繊細なのか図太いのか、はっきりしない男だな』
「繊細が正しくて図太いはお前らの勘違い、わかる?」
俺のような小心者を捕まえて図太いだのメンタル鋼だのと、酷い話だ。
だいたい俺のメンタルが鋼ならお前らは何なんだと問いたい。
というように、俺は周囲の視線に耐えつつベルガーンに反論しながら寮内を歩いている。
このように食堂以外でも人とすれ違うたび、人のいる場所を通り過ぎるたびに好奇の視線を向けられるわけだが……今気づいたがこれもしかして、俺が虚空に向かって話しかけるやべえ奴だと思われてるせいもあるのてまはなかろうか。
さすがに一人くらい見える奴いるよな?と周囲を見渡しても、俺と目が合いそうになると視線をそらす奴ばかり。
これは間違いなく誰もベルガーンのことなんめ見えてませんね。
一応護衛として少尉も一緒だが、会話にも入ってこないしフォローもしてくれないので本件において全くあてにならない。
何なら彼女が無反応なせいで風評が悪化してそうな節すらある。
俺の社会的信用は終わったなこれ。
少なくとも俺なら近寄りたいとは思わない。
ガックリと肩を落とし、猫背で歩く俺。
たぶん今の俺は人類の進化を描いた図の途中にいる類人猿そっくりだろうと思う。
「飯食ってる間も見られるんだよなあ……テーブルマナーとか教わった方がいいんだろうか」
「その格好で?キミの挙動がより愉快になるだけだと思うよ」
「もう少しこう、手心というものを」
少尉の言葉のナイフは相変わらず切れ味が鋭い。
そういうことは思ってても言わないで欲しかった。
というか「より」ってどういうことだ。
俺は現時点で既に面白い挙動をしているとでも言うのか。
そういう考えないようにしてたことに気付かせるのやめてくれないかな。
いらんことを知ってしまったせいで食堂までの道のりが遠く、脚も重い。
パッと飯食ってパッと帰ろう。
そして引きこもろう。
そんなことを決意した俺の歩みが止まる。
見れば、食堂の入口を塞いで数人の男女が何やかんやと会話している。
───邪魔だ、どけ。
言いたいことも言えないこんな世の中なので口には出さないが、心中で罵倒くらいはする。
少なくとも入口でたむろするのがお行儀の悪い行為だというのは万国共通、異世界でも同じだろう。
実際周囲の学生たちも邪魔くさそうにしてるし。
こんなことをするのはどんな悪ガキどもだと顔を確認する。
右手にいるのはイケメン三人組。
どいつもこいつも非常にモテそうな顔立ちだ。
貴族で顔もいいとか反則だろ。
世の中は不公平すぎる。半分分けてほしい。
「ここでお会いしたのも何かの縁、ご一緒に食事でもいかがですか?」
イケメンたちは一様に爽やかな笑顔を浮かべ、一人の少女に向けてそんなことを言っている。
食事のお誘い、所謂ナンパって奴に分類される行動だろうか。
いやそんな低俗なワードで表現したら怒られるかもしれないが、それ以外に何と言えばいいのだろうか。
とりあえず何にしても入口でやることではないと思う。
「申し訳ありません、待ち合わせをしておりますので」
それに対し愛想笑いを浮かべつつ、やんわりとお断りを入れる少女。
その横顔を見た瞬間、俺は即座に回れ右をしたくなった。
というか実際に回れ右しようとしたが、間に合わなかった。
「あっ、来たようです」
突然こちらを振り向いた笑顔の少女と目が合う。
それは完璧な擬態だった。
この少女を見たものは十人中九人が「可憐な少女」と評するだろう。
だが十人中一人、俺は違う。
なんか少尉も天を仰いでるし違いそうだ。
騙されるのは十人中八人ということになりました。
とはいえ俺たち二人が見た目に騙されないのは、少女の素を知っているからというだけの話でしかない。
「ホソダさん、お待ちしてましたよ」
笑顔でそんなことを言いながら駆け寄ってきたこいつの名前は、メアリ・オーモンド。
自由が服着て歩いてるような女が、再び嵐のようにやってきた。