第四章:その5
俺と少尉、二人の視線がアンナさんへと向けられる。
さっきまで完全に丸まってた少尉が顔を上げたところを見るに、どうやらアンナさんにベルガーンが見えたというのはメンタルが死んでいても興味を引く事柄ではあったらしい。
ちなみにベルガーンはというと、突然ポーズを取りだした。
今は腕の筋肉を見せつけている。
普段から腕組んでばっかりなので見慣れたつもりでいたが、こうして見るととんでもなく太い。
まるで───
「泣く子も黙る太さに力強さ、さながら大木が肩から生えているかのよう」
突如、アンナさんがよくわからないことを言いながら拍手し始めた。
俺がまるでの後に続けるつもりだったのはこんなワードではない、もっとシンプルなものだ。
というかどういう語彙なんだよ。
駄目だこの人も変な人っぽいぞ。
そんな俺の絶望をよそにベルガーンはまんざらでもなさそうな顔。
アンナさんの反応に気をよくしているのがよくわかる。
こいつも筋肉褒められると嬉しいらしい、初めて知ったわ。
その後はベルガーンのボディビルショーが始まり、そして数分間続いたそれは困ったことにたいへん見ごたえがあった。
最初は引いていた俺も最終的に拍手していた程度には、だ。
慣れたせいでスルーしてしまっていたが、改めて見るととんでもない肉体してるんだよなこいつ。
「たいへんお見苦しいところをお見せしました」
そう言って深々と頭を下げたアンナさんの表情からは、あまり申し訳なさを感じない。
というかこの人、表情の変化がほぼないのだ。
オレアンダーの酒盛りの後始末をしている時に嫌な顔一つしなかったのは「仕事だから」とかなんだろうなあと思っていたが、どうもそうではなかったらしい。
何しろノリノリでベルガーンの筋肉を称えていたこの数分間、その声に込められた熱とは裏腹に彼女の表情に一切の変化がなかったのだ。
あのノリ方で社交辞令とかお世辞とかそういうことはまずないだろうが、断言できない程度には彼女の表情は動かなかった。
「アンナさんは筋肉が───」
「嗜む程度です」
「そうですか」
食い気味だし、好きなのは間違いないだろう。
というか筋肉を嗜むって何だよ。
見るのが好きなのは間違いないだろうが、鍛えるのが好きとも取れる。
もしかして彼女のメイド服の下はバッキバキだったりするのだろうか。
ちょっと気になるな。
「遅くなりましたが、魔王ベルガーン様にも挨拶申し上げます」
気を取り直し深々と頭を下げるアンナさんはベルガーンがやってくる前の、できるメイドの雰囲気に戻っていた。
こうしてみるとやはり先程はテンションがだいぶ上がっていたのだろう。
どうやらアンナさんは感情があまりというかほぼ顔に出ず、それでいて筋肉が関わると若干おかしくなる人のようだ。
あまり知りたくなかった情報である。特に後者。
まあアンナさんは感情がないとかではなく、表情などで表現しないだけでかなり喜怒哀楽がはっきりしている人なのだというのはわかった。
精一杯オブラートに包み、面白い人と表現しておこうと思う。
ただなんというか「まるで山脈のような盛り上がり」とか「もはや空も飛べそうな背中」とか真顔で拍手しながら言うのはやめてほしい。
目にした瞬間はどこか故障でもしたのかと思った。
『ただのメイドにしては強い魔力を持っているし、何より随分と鍛えているようだな』
「わかりますか」
やっぱり食いつき方がおかしい。
わかりますかじゃないんだよ。
ほら少尉もプルプル震えてる。
これ絶対笑ってるぞ、メンタル死んでる人が普通に笑う程度には珍奇なやり取りをするなお前ら。
鍛え抜かれた、恐らく他に類を見ないほどの筋肉を持つ魔王。
そして筋肉大好きなメイドさん。
この二人が出会ってしまったのは偶然だろうか。
それともどこかの誰かが仕組んだ必然なのだろうか。
一体全体どっちなんだい。