第四章:その2
当たり前の話をしよう。
貴族用の寮にいるのは貴族ばかりだ。
しかもそのほとんどは未成年、中高生くらいの年頃の青少年たち。
そんな空間に俺のような貴族ではないおっさんが入っていったらどうなるか。
───浮くし、めっちゃ見られる。
実体験する前から容易に想像できた、至極当然の展開。
それを俺は今、全力で体感している。
「めっちゃ見られてるんだけど」
「慣れて」
普段なら視線の大半を少尉……超絶美しい金髪軍服エルフが引き受けてくれて、俺は「存在するが視界には入らない」くらいの扱いになるのだが、今の少尉にそれは期待できない。
何しろ現在彼女のメンタルは三途の川で水遊びをしている真っ最中、うなだれすぎて陰キャみたいな挙動になってるしオーラも皆無だ。
今俺たちに視線を向けている連中には、おそらく俺たちの姿がさぞかしみすぼらしい二人組に見えていることだろう。
正直俺自身に対する評価はそれで別にいいというか、むしろ正当だとすら思う。
だが少尉に関してはちょっと納得がいかない。
好調時は今とは圧倒的なオーラを放ってるんだぞこの人は。
ちょっと……いやだいぶ変な人だけど。
調子戻ったときの反応が楽しみだ。
というか他ならぬ俺の調子が狂うので一刻も早く戻ってほしい。
そんなわけで廊下ですれ違う連中やエントランスで歓談していた連中といった貴族の子弟たち、彼ら彼女らが遠慮なく向けてくる好奇の視線を全身に浴びながら俺達は歩いた。
歩いた時間も距離も大したことないはずなのに、どちらもとても長かったように感じる。
ここで見世物じゃねえんだぞ散れ散れ、と言えるメンタルが欲しい。
「ここ」
そして少尉が立ち止まり短い言葉……ぶっちゃけ聞き逃しかけるレベルのか細い声でそう言ったのは廊下の一番奥、突き当たりに存在するドアの前。
ドアには何か短く文字が書かれているのだが、相変わらず俺には読めない。
まあきっと部屋番号とか「何々の間」みたいな表記だろう。
その時、ドアの前に立った少尉が変な動きを始めた。
身体中のポケットに手突っ込んだり抜いたり……もしかしてこれ部屋の鍵でも探してるのか?
とはいえ慌てた様子はなく動きも緩慢で、自販機の前で小銭を探してる時程度の緊張感すら感じられない。
俺にとっては割と大ごとだし、少尉にとってもミスではあると思うんだが……なんかもう全てがどうでもいいんだろうな。
やはり今の少尉はポンコツになりすぎているので早く元に戻ってほしい。
ややあって鍵は無事出てきたらしく、少尉は何事もなかったかのように解錠作業に取り掛かり始める。
出てきたなら良かった。
今の俺の気持ちは少尉に対する不安半分、部屋の中に対する期待……いや不安半分といったところだ。
学生寮は廊下やエントランスを見る限り、やはり屋内も作りが凝っている。
この調子だと恐らく部屋の中も高そうな作りだろう。
せめてここくらいは落ち着いた作りであってほしいんだがなあ。
「遅かったではないか、妾を待たせるとはいい度胸だ」
その時俺の耳に響いたのは、そんな偉そうな声。
そして遅れて目に入る、開いたドアの向こうで腕を組んで仁王立ちする仮面を付けたメイドの姿。
───何故。
そんな疑問とともにフリーズした俺を尻目に、少尉が静かにドアを閉めた。
そして彼女もその体勢のまま固まった。
まあ、そうなるな。
「あとは頑張って」
「ちょいちょいちょいちょい」
不意にドアから……この部屋から逃げるように足早に歩き出す少尉。
恐らく彼女の中で「関わらないようにしよう」という結論が出たのだろう。
俺はそれを必死で、腕を掴んで引き留める。
その結論自体は妥当だと思うし、俺も他人事なら同じことを考えた可能性が高い。
でも勘弁してください、一人にしないでください。
「幻覚が見えるほど追い詰められてるみたいだから帰る、あと休職する」
「今の現実だから、大丈夫だから」
ドアの向こうにいる仮面のメイド、たいへん残念なことにアレは幻覚ではない。
俺としても幻であって欲しかったが、現実はとても非情である。
「何をしておる、早く入らぬか」
ドアの向こうから声が聞こえた。
やはり聞き覚えのある声だった。
というかさっき一瞬見ただけで誰か分かったわ畜生。
意を決してドアを開くと、やはりそこには仁王立ちする仮面のメイドの姿。
目元にワンポイントで花と茨っぽい絵が描かれたのっぺりとした純白の仮面で顔を覆い隠したメイド。
こんな訳の分からない格好をする奴も、メイドのくせに偉そうな口調と態度を隠そうともしない奴も、俺には一人しか心当たりがない。
というかこんな人物が世の中に何人もいてたまるか。
「何でお前がここにいるんだよ」
「本日よりお主の専属メイドになった」
職業:メイドではなくジャンル:メイドな女……オレアンダーは胸を張り、そんな地獄のようなことを言い放つ。
───俺は異世界学園生活を果たして無事に過ごせるのだろうか。
その切実な疑問に答えてくれる者は、誰もいない。