第四章:その1
それはオレアンダーが「俺と子作りする」などというワケのわからないことを言い出した二日後のこと。
入口のドアをノックする音が響いた瞬間、俺は肩をビクリと震わせた。
もう完全にノック恐怖症である。一体今回は誰が来て何を言われるのかと不安で仕方ない。
一応来訪の大半はホテルの人ではあるんだが、先程やってきて食器を回収していったばかりなのに再訪する理由は全く浮かばない。
なので「またオレアンダーだったらどうしよう」とビビり散らしながらドアを開けると……そこに立っていたのは、なんか灰みたいになった少尉だった。
いやなんだこれ。
俺が知る限り、普段の少尉は立ち姿もビシっとしててたいへん美しい人物だったような気がする。
だが数日……だいたい一週間ぶりくらいに会う今の少尉はそんな印象とは程遠い状態。
何と言うか、元気というか生気がない。
目のハイライトは綺麗さっぱり消え去っていて髪や肌にもツヤがなく、そして全身から力が抜けているかのように背を背を丸めてうなだれている。
「どうしましたか?」という一言をかけることすら憚られるような有り様だった。
「左遷された」
そして少尉が開口一番に放ったのは、そんなサラリーマンの胃がキュッとなる一言。
流石に俺自身に左遷されたり首を切られた経験はないが、それでも色々想像して顔をしかめてしまう言葉ではある。
「一体何が……?」
そんなことを消えそうな声で、かつ俯きながら口にした少尉に詳細を聞くのはやはり微妙に憚られたものの……「何でそんなことをわざわざここまでやって来て言うんだ」というどうしようもない疑問が俺の中で湧き上がったために聞かざるを得ない。
愚痴るためにはるばるやってきてくれたとかなら嬉しいが、少尉と俺の関係性的にまず間違いなくそんなことはないだろうし。
結論から言えば、少尉は魔導学園に入学する俺の護衛兼家庭教師に任命されたらしい。
正直なところ聞いた瞬間、まごうことなき左遷だと思った。
自分が関わることなので若干微妙な気持ちにはなったが、その異動を左遷でないとフォローできる語彙を俺は持ち合わせていない。
というか「家庭教師が来る」と言われて軍人、それも尉官クラスが来ると予想できる奴なんてこの世にどれだけいるんだろう。
少なくとも俺には無理だった。
軍人にやらせる仕事じゃないだろどう考えても。
「キミをここで殺したらなかったことになるかな」
「えっ怖」
ハイライトの消失した目を俺に向け、普通に剣に手をかけながらそんなことを言う少尉。
ゾワッとした。
物理的にも数歩下がったくらいには、怖かった。
というか今ゾワッとしたのは、彼女が殺気でも放ってたせいじゃないだろうかと思う。
俺はそういうの全然わからないが、そんな気がしてならない。
というか確かに俺を殺せば任務がなかったことになるのは間違いない。それは断言できる。
ただその場合少尉の扱いは原隊復帰じゃなく豚箱行きになると思うんだけど。
普通に考えたらそれくらいは簡単に想像できるはずなんだが……頭、働いてないんだろうなあ。
「とりあえず落ち着こう」
その後必死に少尉を落ち着かせ、とりあえず紆余曲折的な色々の末何とか剣から手を離させることには成功した。
「立ち直った」とは断じて言えないのがアレだが。
どうすりゃいいんだこの人。
「そう言えば今日中にキミを学園の宿舎に連れて行かなきゃならないんだけど、面倒だから今度でいい?」
「良いわけあるか」
やっぱり今日の少尉は頭が働いてない。
できれば最低限、自分が頭のおかしいことを言っていると認識して欲しい。
俺としても「え、今日?」とは思う。
急な異動に定評のある俺の職場ですらここまで急ではない。
普通こういうのは説明を受けてから数日後に移動するものだろう。
ただまあ今の俺の場合、まとめる荷物も全くないので今すぐ移動と言われても普通に対応可能ではあるんだよな。
帝国ホテルの快適過ぎる住環境は手放し難いが、流石に延長を要求するのは厚かましいにも程があると言わざるを得ない。
どんな場所かは知らないが、学生寮という住処を用意してもらえたことにむしろ感謝すべきだろう。
そんなわけで結局俺はその日のうちに学園の宿舎へと移動することにした。
もしかすると明日とかでも良いのかも知れないが、それを確認する術はない。
体育座りして窓の外を見てる少尉には、多分聞くだけ無駄だろうし。
その後も出発までの間に紆余曲折あったが、おおよそ「少尉が動かなかった」という一言に集約されるため割愛する。
本当に色々勘弁して欲しい。
あとベルガーンは朝からずっと行方不明であり、果たしていつ帰ってくるかもわからなかったため放置して出発することにした。
何も言わずいなくなるやつが悪い。
まああいつなら置いていっても何かしらの方法で追いついてきそうな気しかしないし大丈夫だろう。
さて、アーカニア魔導学園の所在地は第二城壁の外。
そのため帝都中心部にある帝国ホテルからは距離があり、移動にもそれなりの時間を要する。
少尉の荒っぽい……前よりも荒い運転でおよそ十分程の距離といったところだろうか。
スピードめっちゃ出してたので、安全運転だともっとかかるとは思う。
道すがら「何でこんな離れた場所に」と思っていたのだが、これに関しては学園の敷地が見えてきて納得した。
ひたすらに施設が多く、広いのだ。
運動場らしき広場や体育館らしき建物だけでなく、どれが何というのはわからないが様々な建物が整然と立ち並ぶ様はもはやちょっとした街。
道も第二城壁の内部ばりに整備された石畳だし。
アメリカの大学がまるで小さな街のような規模という話を聞いたことがあるので、もしかするとそれに近いのかも知れない。
そしてそんな”街”の中を走ることしばし、ついに目的地である学生寮に到着したわけだが……なんかもう、凄かった。
この世界に来てからこの方、ありとあらゆる物に圧倒されっぱなし呆けっぱなしのような気がするが、実際そんな反応をするしかないものばっかり見てるんだから仕方ないだろうと言いたい。
陽光を受けて美しい輝きを放つ、純白の大理石のような素材でできた外壁。
そしてその周囲に並び立つ均整の取れた柱列は同じく純白の石材で一本一本が精緻に磨き上げられ、またそれぞれ異なる繊細な彫刻が施されている。
帝国ホテルも見るからに高級感のある建物だったがさすがにここまでの……もはやこの建物自体が芸術品と言ってしまっても過言ではないような作りではなかった。
俺の世界でこの建物の印象に近いものといえば世界遺産、パルテノン神殿になるだろうか。
もちろん「ガワがパルテノン神殿的なだけで中身は普通」という建造物は俺の世界にも存在するので、この建物もそうである可能性は否定できない。
でもたぶんこの建物は内部も凄いんだろうな。
なんかそんな確信めいた予感がする。
「確認するんだけど、マジで俺ここで暮らすの?」
「そうなんじゃない?」
俺はかなり真剣に聞いたのだが、隣に立つ少尉の返事はあまりにも微妙というか心底どうでも良さそうなもの。
というか相変わらず目が虚ろなんだけど、俺の言葉は本当に脳に届いているのだろうか。
「実は今の返事は問いに対する答えではなくただの反射」とかだったらだいぶ困るんだけど。
───不安で仕方ない、後でここの人に確認を取ろう。
そんな決意をしながら周囲へと目を移す。
首を右に四十度ほど回せば学生寮よりもデカくて豪華な、まるで城みたいな建物。
あちらも外壁の白い素材が陽光を受けて荘厳な輝きを放っている。
俺の予想だとたぶんあれが校舎なんだが、どんだけ豪華に作ったんだよ。
まあこの手の魔法学校が豪勢なのは異世界ファンタジーのお約束ではあるんだが、実際目にするとマジで圧倒される。
「マジでこんなヤバい宿舎に平民も暮らしてんの……?」
視線を学生寮に戻し、誰にともなく呟く。
アーカニア魔導学園は全寮制の学校である。
帝国中から集まってくる学生たちのための住環境やら交通網やらの整備が大変だとか、学園は帝国の縮図みたいなものなのでそれに慣れさせるためとか色々理由はあるらしいが、何にしても俺も今日からこの学生寮の世話になる。
帝国ホテルで多少の免疫はついたものと思っていたが、やはりどうにも建物に気圧されてしまうのは変わらないらしい。
まあ明らかに、何なら帝国ホテル以上に俺がいてはいけない場所のように感じられるし仕方ないだろう。
「こんなところで暮らせる平民連中、すげーなあ……」
「ここ貴族用だよ」
「なんて?」
今、聞き捨てならないことを言われた気がする。
流石に聞き間違いだと思いたい、そんなことが起こるはずがない。
「キミが暮らすのは、貴族用の寮」
俺はその場にうずくまり、頭を抱えた。
オレアンダー、お前は一体どういう手続きをしたんだ。
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