第三章:オレアンダーとベルガーンその1
三人称視点です。
「妾がドラゴンと……何故そう思ったのじゃ?」
『まずは貴様が先程使用した竜語』
ワイバーンなどが属する”竜”という種別の中で最上位の存在であり、同時にこの世界の生物のヒエラルキーにおいて頂点に君臨する絶対的強者、ドラゴン。
彼らが用いる、この世界の共通言語とは似て非なる言葉は”竜語”などと称される。
”竜語”は文化面よりも戦闘面において特筆すべきものがある言語だ。
一言一言が魔法の詠唱と同等の力を有し、それがドラゴンが生来有する膨大な魔力と合わさることで強力無比な魔法となる。
そして”竜語”はドラゴン以外の種族が発音したとしても同等の効果を発揮することはない。
知能でも魔力でもないドラゴン独自の何かが作用していると考えられるがその「何か」は現代でも解明されておらず、それ故に「”竜語”の使用者=ドラゴン」という図式は今も変わらぬままだ。
『それに、貴様からは竜族特有の匂いがする』
「ふむ……風呂は毎日二度入っておるんじゃがな」
『貴様らの生臭さが風呂ごときで消えるものか』
「ほざきよるわ」
ベルガーンの罵倒としか評しようのない言葉に対し、オレアンダーは愉しそうに嗤う。
とはいえ彼女の顔に張り付いているのは、「笑顔は最も攻撃的な表情」という与太話が真であるかのように感じられるほどに獰猛な笑顔。
隆夫と会話していた先刻のような、妖艶で奔放な美女の面影はもはやどこにもない。
あるいは彼女に近しい者ですら別人と疑ってしまうかも知れないような、見る者に恐怖すらも抱かせる笑み。
「古の魔王と言うからどれ程のモノかと思ったが中々に聡い、その尊大極まる態度は気に入らぬが」
『昔から竜族、特にドラゴンとは相性が悪くてな。気に入らんのはお互い様だ』
交錯する二人の視線には、互いに剥き出しの敵意が込められている。
一瞬の後には殺し合いが始まってしまいそうな、見つめ合うと表現するには険悪過ぎる状況が続く。
「まあ良い、それで何故人の形をしているかと問うたな?」
短いようで長い時間の後、オレアンダーは唐突に態度を崩した。
睨み合いは飽きたとでも言いたげに両手を広げ、少しだけ柔らかくなった笑顔を魔王へと向ける。
ベルガーンの態度には変化がなかったものの、この場に二人以外の誰かがいれば場の空気が若干緩んだと感じたことだろう。
あくまでも若干ではあるが、少なくとも「逃げ出すという選択肢すら取れない」程の圧迫感は消えてなくなった。
『余の知る限り、貴様らドラゴンは他種族を見下す傲慢な輩ばかりだったはずだ』
「自身を超越者と、絶対的存在と勘違いした間抜けどもは皆死んだ」
オレアンダーは同族の死を、心底愉しそうに語る。
天空から堕ちた竜。
地に呑まれた竜。
そして名のある英雄に、名も無き人々に屠られた竜。
「今はお主の時代ほど、竜は恐れられておらぬ」
ドラゴンを力の象徴として祀る、家紋にするなどする者は数多い。
しかし絶対的な存在として、災厄の如き存在として恐れ敬う者はもうほとんどいない。
象徴としては獅子や虎のような猛獣、驚異としては巨大魔獣、それらよりは少し上。
かつて神の如き威光を……力を振るっていたはずの者たちは、長い時を経てせいぜいそんな程度の存在へと成り果てた。
「恐れや畏れを糧とする我らには致命的な時代の変化であった」
ドラゴンは通常の食物では腹が膨れない。
自身に向けられる恐れや信仰、そういった不可視で形もない漠然としたものを糧として生きてきた種族だ。
そして彼らに向けられるそういった”想い”とでも呼べるものは時代とともに少しずつ、そして着実に減っていった。
糧を得られなくなれば弱る。
その摂理からは、ドラゴンですらも逃れることが出来なかったのだ。
そして始まった緩やかな衰退。
絶対的強者であったはずのドラゴンたちはもはや取り返しがつかないほど蝕まれた頃、ようやくそれの存在に気付いた。
「既に下級の竜族は害獣に毛が生えた程度の存在に落ちぶれ、ドラゴンは多くが何処かへと旅立った」
行き先の大半はあの世じゃがな、とオレアンダーはやはり笑う。
まるで同族の破滅が心底喜ばしいとでも言わんばかりに。
そう、ドラゴンに訪れたのは転落や凋落どころではなく、破滅だった。
もうドラゴンたちの居場所は物語の中にしか存在しない。
かつての栄光と繁栄の名残、あるいは残骸。
現実世界に残っているのは、それだけだ。