第三章:”真なる皇帝”
三人称視点です。
帝国ホテル地下一階。
ここにはホテルの利用者の中で政治的外交的、あるいはプライベートなものなど様々な事情により一階の出入口を利用できない者たちのために第二の出入口が存在している。
そしてそんな場所にメイド服を着た女が一人。
女の名はオレアンダー。
あるいはクローディア・アイアンハート。
名乗りたい名は前者で、名乗らねばならない名は後者。
そんな二つの名と面倒なバックグラウンドを持つ女は、鼻歌でも聞こえてきそうな程の上機嫌、軽やかな足取りで自動開閉の扉を抜け───そしてそこで、その顔から笑みが消えた。
大きなため息。
オレアンダーの美しい顔に張り付いている表情は数秒前とは真逆、露骨なまでの不機嫌。
「おい」
再度大きなため息とともに、彼女は誰にともなく語りかけた。
静かな空間に、女のよく通る声が響く。
しかしながらそこには先刻、隆夫と話していた際のようなのような艶やかさはない。
重い、威圧感に満ちた声。
その声からはある種、敵意のようなものすら感じられた。
「妾を機嫌が良いまま帰らせよ、そうすれば───」
その時、地下に風が吹いた。
否、まるで風のような速度で何かが……何者かが走っていた。
それは一体の狼男。
この世界においてウェアウルフと呼ばれる種族の男が一人、猛スピードでオレアンダーへと襲いかかる。
果たしてその行動は予定通りのものか、あるいはオレアンダーに存在を感知されたことによるものか。
「そうすれば、見逃してやったものを」
ウェアウルフの右手に、強い魔力が込められる。
それは獣人族、その中でもウェアウルフのように鋭い牙や爪を持つ種族のオーソドックスな戦闘スタイル。
ただでさえ鋭いそれらを魔力で強化し、獣人族が生来持つ高い膂力によって振るうというシンプルで強力な戦法。
そんな鉄や鋼の類すら容易に両断しうる一撃を、オレアンダーは片手で払いのけた。
まるで羽虫を払うかのように、軽々と。
「Eis」
その時彼女が発したのは、耳慣れない言葉。
とはいえこの世界の共通語の中には近しい発音の単語が存在し、僅かに思考を巡らせばそこにたどり着くことはできたかも知れない。
だが渾身の力をもって振るった右手を弾かれたことで大きくバランスを崩した狼男には、その思考のための時間は与えられなかった。
突然発生した巨大な氷の槍が、がら空きになったウェアウルフの胸そして心臓を刺し貫く。
それにより彼は言葉の意味どころか、何が起こったのかすら理解できないまま、大量の血を噴き出して絶命した。
「Flamme」
そして続けざま、再びオレアンダーが言葉を紡いだ瞬間、今度は彼女の背後で激しい火の手が上がる。
燃えていたのは人間だった。
背後から忍び寄り剣を突き立てようとしてた人間の男が一人、激しく燃え上がっている。
地下に響く絶叫あるいは悲鳴は、きっと彼のものだろう。
その光景をオレアンダーは一瞥すらしない。
「それで終わるのが当たり前」とでも言わんばかりに、結果の確認すらも一切しようとしない。
そんな彼女が視線を向けた先には一体のリザードマン……華奢なオレアンダーはもとより、狼男と比べてもも一回りは大きな肉体を持つ巨漢の姿。
果たしてどこにどうやって隠れていたのかという疑問はあれど、いずれにしてもそのリザードマンが巨大な剣を振り上げ、オレアンダーへと迫り───
「煩わしいにも程がある」
力の限り振り下ろされた大剣。
おそらくは大地を割る程の剛撃。
それを彼女は、僅か三本の指で軽々と受け止めた。
まるで空を舞う羽根でも掴むかのように。
「Donner」
破裂音、あるいは爆発音が響いた。
剣を伝い、リザードマンの身体に流れ込んだのは電流。
落雷の如きそれが彼の体表を焼き、体内を焦がす。
身体中から黒い煙を立ち上らせ、最後に口から特に濃い色のそれを吐き出したリザードマンはゆっくりと後ろに倒れ───そのまま動かなくなった。
「さて、残るは二人じゃな」
そう言った女の顔には、何の感情も浮かんでいない。
淡々と作業をこなしただけとでも言わんばかりの無表情。
それを目にした二人の暗殺者……今まさに飛び掛からんとしていた人間の男たちが一歩後ずさる。
恐怖。
その時彼らの心を塗りつぶしていた感情を言葉に表すなら、それが適切だろう。
理由はさておき、帝都の中心部で皇帝を襲撃するなどという選択をした彼らがとうに捨て去ったと思っていたもの。
───こんなものは戦いなどとは呼べない
───鬱陶しい蚊を潰したと、せいぜいそんなところではないか。
そんな思考が彼らに”死”を強く強く想起させる。
それも意識の外に追いやって久しい”自身の死”だ。
それが彼らの足を止めた。
もはやこの場面、彼らの足が前に出ることはない。
「時にお主ら、そこにおる者が見えるか?」
そんな有様の二人を冷めた目で見据えながら、オレアンダーは唐突に虚空を指差す。
曲がりなりにも命のやり取りをしている場だ、普通であればそちらを見るなどという行動をする者はいない。
だが恐怖に飲まれた暗殺者たちの精神状態は、既に普通とは言い難かった。
何がいるのだろうという不安。
何がいるのだろうという”期待”。
抱くべきではない……というより本来ならば抱くはずのない感情とともに彼らはオレアンダーの指が指し示す方向に目をやる。
だがそこには誰もいない。
暗殺者たちの目に、人の姿など映らない。
「その程度の能力で、妾を殺せるなどと思い上がったのか」
状況の把握、あるいは思考の整理。
それらのタスクを必死にこなそうとしていた彼らの耳に、心の底から呆れたとでも言いたげなオレアンダーの声が響いた。
「Schwert」
先程から幾度となく口ずさんでいる得体の知れない言葉。
それをもう一度、女は大きなため息とともに口にした。
瞬間、血飛沫が舞う。
暗殺者たちはいずれも左肩から右腰にかけてを───異世界においては「袈裟斬り」と呼ばれる太刀筋のように深く切り裂かれ、即死した。
「弱すぎじゃ」
地下には静寂が戻る。
とはいえそれは僅か数分ぶりのこと。
人数が少なかったとは言え、たったそれだけの時間でオレアンダーは襲撃者たちを殲滅してみせた。
そして彼女の身体には傷ひとつついていない。
受けた被害といえば、狼男の血などで服が少し汚れた程度のもの。
とはいえ彼女にとって現在身に纏っているメイド服は特段お気に入りというわけでも高級品というわけでもなく、「捨てて新しいのを着ればいい」といった感想以外が浮かぶこともない。
「つまらぬものを見せて悪かったのう」
不意に、オレアンダーは虚空に向けて言葉を発する。
それは先程自身が指差した方向。
誰もいない、何も存在しないはずの場所。
『いいや、珍しいものを見ることができた』
だが実際にはそこに一人、ずっと立っていた者がいる。
褐色の肌に、岩山のような筋肉。
銀色の髪と、雄牛のような角。
その姿が見える者にとっては圧倒的な存在感を放つその魔王は、最初からその光景を見ていた。
だがベルガーンと呼ばれる男の姿を見ることができたのは、この場においてはオレアンダーただ一人。
『ドラゴンが人の形で、一体何をしている』
そしてベルガーンが発したのはオレアンダーの戦いぶりや力に対しての感想ではなく唐突で突拍子もない、多くの者には意味不明であろう問いかけ。
だがそれを聞いたオレアンダーは誰にも見せたことのない、獰猛な笑みを浮かべていた。
凱旋門楽しいです




