第三章:その11
「ってことがあってな」
翌朝、食事を終えた俺はベルガーンに昨夜の来訪者について説明していた。
ちなみにオレアンダーが散らかしたままにして行ったテーブルの上はホテルマンによって朝食前に片付けられ、今はなんの痕跡も残っていない。
片付けてくれたホテルの人は特に何も言わなかったけど、なんかこっちが申し訳なくなった。
『余もその皇帝とやらを一目見てみたかったものだ』
本人によればベルガーンが部屋に戻ってきたのはオレアンダーがいなくなり、俺が寝てからしばらく後。
そのためオレアンダーとは出会っていないどころか、姿すら見ていないらしい。
どこに行っていたのかと問えば、返ってきた答えは予想通りホテル内の探索。
まあこいつからしたらこのホテルは面白いもので溢れたおもちゃ箱みたいなものだろうし、上から下まで見てたら時間がいくらあっても足りないだろうな。
ベルガーンの場合生身じゃないので壁や障害物で行動を阻害されず、また疲れもしないので動き放題。
物に触れない等デメリットもあるがメリットも多く、実に羨ましいと思うことがある。
「また遊びに来るって言ってたし機会はあるだろ」
そして俺はそれまでに覚悟を決めなくてはならない。
脚置きになるのを断る覚悟だ、断じて受け入れる覚悟ではない。
今は「断じて俺の尊厳は売れねェ」と強く思っているが、オレアンダーか何か賭け金を増やしてきたら俺の心は奴に屈服しかねない。
そうならないように心を強く持たねば。
……屈服するのは物欲に対してであって、断じて奴の尻や脚に対してではない。
本当です信じてください。
部屋の扉がノックされたのは、その時。
やかましいとか激しいものではなくむしろ控えめで上品なノックだったにも関わらず、オレアンダーが来たのではないかと思った俺はめちゃくちゃびっくりした。
なお朝飯が運ばれてきたときも同様にびっくりしたので、これは本日二度目のびっくりである。
ドアの前に立つ。
ドアノブを握る俺の手は震えていた。
……ノックに恐怖を覚えるようになったら人生おしまいではなかろうか。
つまり俺の人生は今とてもヤバい。
『何をしとるんだ貴様は』
背後からはベルガーンの明らかに呆れた声。
いや気持ちはわかる、俺も他人事だったらそんな反応になるし何なら煽るかもしれない。
何をそんなビビってるんだ、って。
だが今回はおもいっきり自分のことだ。
脚置きになるか椅子になるか、人生の瀬戸際だ。
いや何でどっちかにはなる前提になってるんだ、どっちもならねえわ。
明らかに思考が暴れ回っている。
全くまとまらない。
落ち着け、落ち着くんだ俺。
ドアを開けたくない。
部屋のドアと新たな世界のドア、両方ともだ。
だがさすがに部屋のドアのほうは開けないわけにもいかない。
ホテルの人とかだった場合、無駄に待たせるのはご迷惑になる。
それは流石に望むところではない。
オレアンダーがいませんようにと祈りながら恐る恐るドアを開く。
「初めまして、ホソダ様」
俺はそこにいた男性に対して何か印象を抱くより先に、それがオレアンダーでなかったことを心の底から安堵した。
「どうかなさいましたか?」
「いえいえいえいえ、なんでもありません」
おもいっきり顔に出ていたらしく怪訝な顔をされた。
そりゃ何にホッとしてんだって話だしな。
失礼しました。
さて、気を取り直してこの男性の話をしよう。
柔和な印象の人物で見た目はおじいさん。
小柄で小さなメガネをかけて白衣を纏い、手には大きなカバンを脇に抱えている。
あと特筆すべき特徴としては、耳が長く尖っているということが挙げられる。
見た目どおりならエルフの医者、あるいは研究者といったところだろうか。
どうやらベルガーンのことは見えていないらしく視線は一切そちらに向かない。
そのためベルガーンは早々に『何だ皇帝ではないのか』と部屋の中に戻っていった。
残念がるな。
「わたくし宮廷医師を勤めておりますベンジャミン・“ヴィンテージ“・サリバンと申します」
「これはどうもご丁寧に」
そう言ってサリバンさんは深々と頭を下げ、つられるように俺もお辞儀をする。
社会人のサガ、条件反射ってやつだ。
「本日はホソダ様の診察に参りました、お時間よろしいでしょうか?」
「あっはい大丈夫です」
見た目の印象通り、ずいぶんと物腰の柔らかい人だった。
こちらの方が恐縮してしまう。
宮廷医師って言ったらそれなりに立場も上の方だろう。
爵位とか持っててもおかしくないのに、俺ごときに対して礼儀正しいとかなんていい人なんだ。
俺が過去に出会ったクソ上司とクソ客に是非爪の垢を処方してやってほしい。
俺が無理矢理煎じて飲ませるから。
「とりあえず中へどうぞ」
「失礼いたします」
立ち話もなんなので、というより何をどう考えても診察は部屋の中でやるものだ。
俺はサリバンさんを部屋に招き入れ、ドアを閉めた。