第三章:その6
夕食後、俺はベッドルームにてキングサイズのベッドに大の字に寝転がるという贅沢を全力で味わっていた。
「人をダメにするベッドと名付けよう」
動けない、動きたくない。
視線も天井に固定したまま動かすことができない。
頭も、起きてはいるんだが何も考えられない。
ないない尽くしでもう本格的に駄目だ。
寝転がった瞬間感じたのだ「このベッドはヤバい」と。
だが時既に遅し、アフターカーニバル。
まるで包みこまれているかのような感覚すら覚えるほどの柔らかさ。
しかもデカいせいで手足を遠慮なく伸ばせるせいで、尚のこと身体から力が抜けていく。
まるで雲、そうだこれは雲だ。
俺は今雲の上で大の字になっている。
一瞬脳内でそんな変なイメージ映像が流れた程度には寝心地がいい。
「これはいかん、いかんぞ」
起きられないどころか動けない。
身体から力が抜けていく。
このままではベッドに捕食されてしまう。
ただでさえ食後の満腹感と酒による酩酊、既にそれら二つのバッドステータスを食らっていた俺にはもはやどうしようもない。
リビングのテレビから聞こえる声や音がいい具合に子守唄じみた効力を発揮し眠気を加速させる。
……少尉が車の中で流していたデスメタルのタイトルの話はしていない、アレは全く眠くならなかった。
というかこうしてみると本当にアレは安眠妨害用BGMだったな。
よくメアリはあんなもん聞きながら眠れたもんだ。
ちなみにテレビが点けっぱなしなのには理由がある。
ベルガーンに点けておいてくれと言われたので点灯しっぱなしなだけで、消し忘れではない。
物に触れられないってのはこういう時不便だなと、この世界に来てから初めてベルガーンに少しだけ同情した。
チャンネルも自分では変えられないし
思考がとりとめなく、そして緩慢になっていくのを感じる。
完全に眠る直前といった感じだ。
もう身体は力が入らないを通り越して感覚がない。
一足先におやすみなさいしたのだろう。
唯一脳だけが起きているような感じだが、きっとそれももうすぐ───
───それからどれだけの時間が経ったのだろう。
ゆっくりと意識が覚醒していく。
何をどう考えても寝てたわ俺。
おはようございます。
聞こえてくるのは相変わらずテレビの音。
そしてドアをノックする音だ。
たぶん目が覚めたのはこのノックのせい。
音が若干遠いのでベッドルームのドアではなく、部屋の入口だろう。
そもそもベッドルームのドアを閉めた覚えないし。
「入ってます」
力強くそう宣言する。
他の個室を当たってくれ。
俺は今眠いんだ。
この寝起きの微睡みの中にいる時間はいつも大変心地よい。
しかもこんな天国かよってくらい寝心地がいいところからは起きたくない、離れたくない。
そんな幸福な時間を邪魔されたくない俺は、強い意思と共にドアの向こうの誰かを追い払おうと……追い払ったらまずくないか?
しかも入ってますじゃねえんだよ、トイレか。
再びノックの音。
良かった、いなくなってない。
いそいそと起き上がり、早足でドアの前に到達した俺は着ているバスローブを整えながらドアノブに手を伸ばす。
その時、何故だか嫌な予感がした。
───したのだが、遅かった。
寝起きの脳にそんな瞬間的な判断は荷が重かったのだろう。
しかも慌てていたのだ、俺のシックスセンスによる警告が間に合わなくても仕方ない。
勢い良くドアを開けた俺の目の前には、一人のメイドさん。
傍らにはルームサービスでも運んできたのだろうか、食べ物や何かのボトルやグラスの乗った台車。
俺はその台車に乗っているものを細かくは確認出来なかった。
メイドさんの姿に目を奪われてしまったのだ。
流れるような黒髪で背丈は俺より少し低いくらい、女性としてはかなり高身長だろう。
そして超がつくほど美人で、めちゃくちゃスタイルもいい。
少尉のまるで美術作品のような、精緻と言っていい整った美しさとはだいぶ毛色が違う。
目の前の美女は妖艶とかそんな言葉で表現される妖しい美しさ。
有り体に言ってしまえば、エロい。
ただ目を離せなくなるとか脳裏に焼き付くとかそういうインパクトがあるのは全く同じ。
現実ではもちろん、テレビや雑誌ですらお目にかかったことのない美しさというのも変わらない。
まさかこれほどまでの美人を短期間で二人も拝めるとはなんという眼福、そんなことをしみじみと考えていると───
「遅いぞ貴様」
メイドさんは突如腕を組み、不満を隠そうともしない表情で俺を見つめてきた。
「ルームサービスを持ってきた故、疾く部屋に入れよ」
しかもなんかベルガーンみたいな口調だ、すげえ態度がデカい。
───何だこいつ。
それまでの思考は全部吹っ飛んだ。
今俺の頭に浮かんでいるのはただその一言のみ。
ふと思い立ち室内を振り返れば、やはりベルガーンの姿はどこにもない。
まさかベルガーンがTSしたのか?という疑念が浮かぶ。
だとするとこのメイド服は何だ。
まさかあいつの趣味か。
様々な思考が脳内を駆け巡る。
寝起きな上に酒が入っているだけあって、平時ではしないような思考が次から次に浮かんでは消えていく。
数秒の沈黙の後、俺は一定の結論を出した。
まず「お前ベルガーンか?」とは聞けない。
別人だったとき気まずすぎる。
ならばこの疑問は一時的に思考の片隅に追いやろう。
「どうぞ」
「うむ」
俺はドアを押さえながら道を空け、右手で入室を促す。
そしてそれを見たメイドさんは満足そうな表情を浮かべ、台車を押しながら室内に入っていく。
───部屋に入れないと何を言われるか、何をされるか分かったものではない。
何故だかそんな思考が浮かび、そして俺的にかなり有力な考え方となった。
そして同時にもう一つ、頭の片隅に浮かんだ思考がある。
「入れて大丈夫なんだろうか」という不安だ。
根拠は全くないが、どうにもドアを開ける寸前に感じた嫌な予感が当たりそうな気がする。
俺はゆっくりとドアを閉めながら、メイドさんに聞こえないようにため息を吐いた。