第三章:その5
この本来俺がいてはいけない部屋で、一体俺にどうしろと言うのかがまるでわからない。
足を踏み入れることすら抵抗があるので、入室してからしばらく入口で立ち尽くしたまま動くことができないでいるほどだ。
「とりあえず部屋を確認するかぁ……」
ただ流石にしばらくすると心の整理くらいはつく。
まあ突っ立っているのに飽きたとも言うんだが。
あとはこの部屋に対する好奇心がかなり強くなってきた。
何しろ今回入れたのが奇跡みたいな、今後の人生で入ることができるかだいぶ怪しい程高級な部屋だ、多分隅々まで見ておいて損はない。
まずは部屋に入ってすぐ、リビングとでも呼ぶべき空間から。
右手には、超高そうな真っ白いソファとガラスのテーブル。
そして壁には……テレビかこれ、多分テレビだよな。
薄型で超デカいテレビが壁に備え付けられている。
この世界はテレビもあるのか、いやもう散々機械類があるのを見てきたから今更驚かないけど。
奥にはデカい窓と、その手前にこじんまりとした……それでいて全く安くはなさそうな丸テーブルと椅子が二つ。
そしてその横には立派なシンクと冷蔵庫。
何というか、普通のアパートの部屋にありそうなサイズのものがホテルの部屋に存在するというのが驚きだ。
高い部屋だとこんなもの付いてるんだな。
恐らくこの辺りの設備は窓から外の景色を見ながら酒を飲むためにあるんだろう。
部屋はだいぶ高い階にあり、また周囲に高層建築物がそう多くないため帝都をかなり遠くまで見渡す事ができる。
昼間でもこれだけいい眺めなのだ、夜景はさぞかしロマンチックなことだろう。
一応ファンタジーなこの世界、電気がないことになっているこの世界の夜景がどんなものなのかはわからないが……まあ多分俺の世界とそう変わらないんだろうなあ。
リビングルームは以上。
既にお腹いっぱいになりつつあるが、まだベッドもトイレもバスルームも登場していない。
恐らくこの扉の向こうにあるのだろう、そう考えながら何故か気合いを入れてドアノブを回す。
気分は犯人の部屋への突入だ。
そうして扉を開けた先にあったのは、だいたいリビングと同じようなサイズの空間。
この部屋でまず目に入るのは、圧倒的な存在感を放っているのはやはりベッドだろう。
人が二人余裕で寝れそうなサイズのベッドに二段重ねの枕が二セット、恐らくこれはキングサイズって奴だな。
実物初めて見た。すげえ。
あとはリビング同様デカい窓とその手前に丸テーブルと椅子……どんだけテーブルと椅子があるんだよこの部屋。
でも全部使いたくなる位置にあるのが面白い。
そして部屋の奥の小部屋の中にはドアが二つ、それぞれバスルームとトイレに繋がっていた。
トイレの方はいつも通りファンタジー感の薄れる、何の変哲もない洋式トイレ。
何の変哲もないのがだいぶおかしいんだけど、もうこの世界なら仕方ないとしか言いようがない。
一方で、バスルームが凄かった。
石造りの床に鏡張りの壁、湯船の横にはまた巨大な窓。
俺が知っているホテルのバスルームには窓がついていたこともなければ、そもそもトイレが別の部屋だったこともない。
そしてだいたいが白かピンクのプラスチックでできた壁だったが、このバスルームは大理石(仮)だ。
バスルームの素晴らしい解放感と同時に襲い来る、とてつもない不安。
分かりきっていたことだが高い。
何をどう考えても高い。
俺は本当にこの部屋を使って良いのだろうかという疑問がぶり返す。
というか誰がこの部屋の宿泊料金を払ってくれるんだろう。
考えても無駄なので考えないようにしたいが、どうしても考えてしまう。
「あー、湯船あるのか……」
バスルームの窓際、「入浴しながら景色をご堪能ください」と言わんばかりの位置に湯船があった。
下手をしなくても個人の家にあるものよりも大きな、全力で足を伸ばしてもまだ余裕がありそうなサイズの湯船。
見ていると、入りたくなった。
流石に”死の砂漠”では無理だったものの、オーレスコでの数日間はちゃんとシャワーを使わせてもらっているので身体が汚れているとかそういうわけではない。
ただ湯船はしばらく使っていないということもあり、めっちゃ気持ちよさそうなこの湯船で足を伸ばしたいという欲求がウズウズと湧いてきただけの話だ。
あとついでにリラックスして現実逃避したい。
意を決して俺は蛇口を捻る。
きっと赤い方がお湯だろう、そうであってくれと願いながら。
人間、開き直って一歩を踏み出せばあとはどうとでもなるらしい。
風呂上がり、備え付けのバスローブに着替えた俺はソファに身体を預けてくつろいでいた。
風呂は湯加減も丁度よく、とても快適だった。
特に足を伸ばせたのが最高だ。
あんなに足を伸ばしたのは銭湯に行ったときくらいのもの。
それを一人、俺用の湯船でできるというのは贅沢が過ぎる。
「こんな贅沢したことねえ……」
そう呟いた手には、冷蔵庫から取り出した謎の缶飲料。
銘柄から何からさっぱりわからないが、アルコールが入っていることだけは保証できるビールっぽい味わいの……たぶんビールだなこれ。
やべえ酒入れちゃった、大丈夫かな。
「まあいいか」
『貴様本当に図太いな』
「うわあビックリした、脅かすなよ」
俺一人だと思っていた部屋のなかに、気付けばベルガーンがいた。
いつの間に帰ってきたんだろう。
帰ってきてならただいまと言え。
「お前なあ、俺はさっきまでビビりまくってた小心者だぞ」
『ほほう、では今余の目の前で酒を片手に寛いでいる男は何者だ?』
「きっと恐れを乗り越えた男だろう」
ベルガーンが「こいつとは何話しても無駄だな」って顔している。
心外だし、解せぬ。
というかよく俺が持ってるのが酒ってわかったな。
さて、そんなわけで今の俺には怖いものなどない。
冷蔵庫からは二本目の酒を取り出して開けるし備え付けの豆菓子も食う、テレビのリモコンと思われる物体をフィーリングで操作する。
『何だそれは』
「この世界で何て言うかは知らないが、俺の世界ではテレビって呼ばれてた機械だな」
リモコンにベルガーンが食いついた。
いやテレビにか。
こいつからすると急に壁に動画が映ったようなもの……ってそもそも動画がわからんのか。
こうなるともう全てがカルチャーショックだろう。
俺は相変わらずフィーリングでリモコンを弄りながらテレビについて説明する。
よくわからないボタンを押してよくわからない機能が起動する懸念はあったが、だいたい操作感は同じだったためしくじりは起こらなかった。
意外だったのだが、ベルガーンは動画というものに関しては理解があったこと。
何でも映像を保存するマジックアイテム……ビデオカメラのような物がこいつのいた時代にも存在していたらしい。
すげえな魔法と思うと同時に、説明の手間が省けて大変良かったと思う。
さてテレビに話を戻そう。
チャンネルを回せばクイズにドラマに音楽、時間帯を考えれば元の世界より多種多様な番組をやっているのだが、最終的にニュースっぽい番組を見る方向で落ち着いた。
文字は読めないが言葉は完璧に理解できるため、番組内容に関してはクイズ以外おおよそ楽しんで見ることができた。
その中で一番面白いと思ったのがニュースなのだ。
国境での緊張みたいな政治的な話や、難関ダンジョンを攻略したらしいパーティーの話のように真面目なもの。
希少魔法生物の保護を訴える魔法生物保護団体に、ワイバーンを素手で退けた農夫の話……俺からするとツッコミどころしかないもの。
たまに汚職だの事件事故だの元の世界で聞いたような話も混じるが、大半は非現実的なものばかり。
実にファンタジーしているため聞いていて飽きない。
ベルガーンも同様にじっと画面を見つめている。
テレビそのものもそうだが流れてくる情報にも興味があるようだ。
異世界から来た男と何千年かぶりに帰って来た魔王。
今のこの世界について何も知らない俺たちにとっては、何気ないニュース番組が輝いて見えた。
結局俺たちは日が傾き、部屋に晩飯が運ばれてくるまでテレビに熱中していた。
気付けばビールの空き缶もめっちゃ増えていた。