第二章:シオン・クロップとベルガーン
三人称視点です。
時は異世界人が目覚める少し前。
月明かりが僅かに差し込む暗い森の中、シオンは静かにその身を潜めていた。
その視線の先には、朽ち果てた小屋が一つ。
(あれか)
”追跡”の魔法はあの所々に大小の穴が空いた、近いうちに倒壊しそうな気配すらもある建物を指している。
───つまりはあの中に例の魔石があり、そして恐らくは隆夫とメアリの二人もそこにいる。
そこまで推察していながら、シオンは現在地……小屋から数十メートルの距離から近づけないでいた。
原因は、小屋の周囲にいる者たち。
小屋の周囲には数台の車といくつかの小さな光源、そして武装した集団の姿がある。
夕刻シオンらを襲撃してきた者たちと同じような装いで、銃も同じものを抱えた集団が小屋を守っているのだ。
その警戒を掻い潜るのは容易ではなく、強行突破を試みれば隆夫たちに被害が及ぶ可能性が高い。
(それで、あの魔王は何してるんだ……?)
その光景の中に一つ、ノイズとしか呼べないものが存在する。
彼らの装備を、停車している車両を物珍しげに眺めて回る魔王の姿だ。
反応から察するに、彼らの中にベルガーンの姿を見ることができる者がいないのは間違いない。
それでも厳戒態勢とでも言うべきピリピリした雰囲気の集団の中を、まるで物見遊山でもしているかのように歩き回る大男がいるという光景は、あまりにも奇異なものだった。
その様子を半ば呆れ返った心持ちで眺めていたシオンだったが……不意に、顔を上げたベルガーンと目が合ったような気がした。
そしてそう認識した瞬間、彼女の背筋にぞわりとしたものが走る。
『来たか』
次いで、良く通る声がした。
シオンが魔法で聴覚を強化していたというのもあるが、この距離でなおはっきりと聞き取れる声。
それを聞いた瞬間、シオンは確信する。
先程目が合ったような気がしたのは気の所為ではなく、さらに言えば偶然でもない。
ベルガーンは正確に自分の存在を知覚したが故にこちらを見たのだ、と。
彼女とてただ雑に隠れているという訳ではない。
気配遮断などの隠密行動用の魔法をいくつか使用している上に、場所は森の中で今の時間帯は夜。
さらに言えば小屋からは距離もある。
探知の難易度は極めて高いと断言できる、そんな環境だ。
『声は出さずとも良い、黙って聞け』
何故、どうやって、という思考がシオンの頭の中を目まぐるしく駆け巡る。
敵に発見されたわけではないにも関わらず逃走を選択肢に入れかけた程に、彼女は衝撃を受けていた。
そんな彼女に向けてベルガーンはあくまでも悠然と、驚くには値しないとでも言わんばかりの態度で歩を進める。
(本当に見えてないんだろうね?)
いかに「多くの者はベルガーンの姿が見えないし、声も聞こえない」という前提があったとしても、こうも普通に声を出されては不安を抱くのは無理もないこと。
武装集団の中に見える者、聞こえる者がいる可能性も否定はできない。
とは言えシオンがベルガーンに「静かにしろ」と伝えることは不可能。
彼女はただ黙って、嫌な汗が流れるのを感じながらその朗々とした声を聞く他なかった。
『小屋の中に敵はおらぬ、周囲には銃を持った者が四名とそこの車の中に二名』
姿が見えない故に好き勝手見て回ったのだろう、魔王の状況説明は極めて詳細だった。
シオンはこれ程詳細な情報を持って作戦に臨んだことはない。
間違いなく破格と、そう断言できる情報の質。
『あとは向こうで貴様とやりあった男が二名仲間を連れて、知らぬ魔導師三名と人質の身柄について話していた。おそらくあれが黒幕だろう』
ここまで来ると、もはや苦笑を浮かべるしかない。
今シオンが為そうとしているのは隆夫とメアリの救出であって事件の全容解明ではなかったのだが、図らずもそれに関しての詳細までもが手に入りそうな勢いだ。
隣に部外者がいるにも関わらず重要な情報をペラペラと交換し合う襲撃者と黒幕、という情景が浮かぶ。
あまりにも間抜けで現実離れした想像だったがきっと現実にあった光景なのだろう。
そんな思考を浮かべながら、シオンは大きなため息を吐いた。
姿を消す魔法も、気配を消す技術もこのせかには存在する。
だがその両方を極めた、神業とでも言うべき能力を持った偵察兵でもこんな芸当は不可能だと断言できる。
姿は見えず、遮蔽物をものともせず、敵真っ只中からの情報伝達も容易。
もはや理不尽と、そう言って差支えないだろう。
『あれに“ワンド“を召喚させ、注意を引いた隙にメアリをこちらに逃がす。貴様は周囲の敵を排除しつつメアリを保護しろ、聞こえたな?』
シオンは小さく頷き、それを確認した魔王は踵を返し小屋の方へと向かっていった。
シオンは深く息を吐く。
今度はため息ではなく、気持ちを切り替えるために。
そして再び周囲を見る。
武装集団は相変わらず彼女の存在には気付いていない。
そして、小屋の内部にも注意は向けていない。
状況は整った。
あとは事態が動くのを待つのみ。
これで失敗すれば通りでの出来事以上の不手際とばかりに気合いを入れ、集中しようとしたシオンだったが……不意にベルガーンがメアリのことは名前で呼び、それでいて隆夫のことは「あれ」と呼んでいたことに気付く。
(どういう関係なんだ)
隆夫はベルガーンのことを名前で呼んでいる。
それはシオンも幾度となく聞いているが、逆にベルガーンが隆夫の名を呼んでいる場面を一度も目にしたことがない。
関係がうまく行っていないという印象はないだけに不可思議。
自身も隆夫を「キミ」と呼んでばかりで名を呼ばず、なんなら自分の名前すらも呼ばせていない不可思議な関係であることを棚に上げながらシオンがそんなことを考えていた時だった。
静かな夜の森に、轟音が響く。
それは小屋を突き破り、異世界人の“ワンド“が姿を現した音。
それに反応し周囲の人間……武装集団の視線と注意が完全にそちらを向く。
それを確認した瞬間、思考を完全に切り替えたシオンが剣を構えて地を蹴った。