第一章:その1
『無事到着したようだ、目を開けよ』
ベルガーンの声に従い、ゆっくりと目を開ける━━━
「ぶえっっくしょいッッ!!」
━━━より先にくしゃみが出た。
埃っぽすぎるだろ。
そこは薄暗い、石造りと思しき広い空間。
恐らくかなりの長期間人の出入りがなく、空気の入れ替えもされていないのだろう。
ほんの僅か動いただけで舞い散る砂と埃が凄まじい量である。
「ぶえっっくしょいッッ!」
くしゃみが止まらない。
めちゃくちゃ目も痒くなってきた。
何でも願いを叶えてくれる神様がいるのなら、今すぐマスクとゴーグルがほしい。
出来れば防塵の、高い奴。
「ここにいたら死ぬ、出口どこだ」
『あの扉だ』
ベルガーンの指差した先には、俺の背丈の倍以上はある巨大な扉。
何やら強そうな生き物の彫刻が彫られたそれに向かい、口と鼻を押さえながら足早に歩を進める。
ちなみに抑えたところでくしゃみは止まらなかったし、ノーガードの目は痒いを通り越して痛い。
俺が大きく動いたせいで、砂埃がもはや空間を満たすと表現していいくらい舞い上がってたので仕方ないのだが……何だここは、地獄か。
「なんかやたらと夜目が利くがこれも魔法か?」
『左様、簡易的な術故常に発動している』
なるほどパッシブスキルか、魔法ってのは便利だな。
部屋に光源になるようなものはなく、扉の隙間から差し込む光はごくごく僅かでそこに扉があるというのが辛うじてわかる程度。
床に瓦礫など躓きそうな障害物がないこともあってスタスタ歩けているが、魔法がなかったらマジで何も見えず手探りで行動する羽目になっていたことだろう。
……この埃っぽい空間で手探りとかマジで地獄だな、今ですらかなり辛いのに。
「重っも」
さておき、すんなりと目前まで到達して手をかけた石造り扉は、見た目どおり重かった。
動かないという程ではないが、万年運動不足の俺には辛いものがある。
横にいる魔王のゴリラみたいな筋肉なら余裕で開けられそうな気配があるが、生憎今こいつには実体がない。
非常に残念だ。
「ンアアアアーーーー!!」
叫び、全体重をかけて押す。
あまりにも珍妙な行動だったと見えて、隣でベルガーンが何とも言えない顔をしているが気にする余裕はない。
俺は一刻も早くこの埃っぽい部屋から出たいんだ。
「ふんがーーーー!!」
俺の気合に応えてくれるかのように、扉が重苦しい音を立ててゆっくりと開いていく。
同時に差し込んでくる眩い光に、思わず目を閉じた。
───勝った。
これで俺はこの埃地獄から解放され、人間が生きていける空間に出られる。
そんな強い達成感と解放感を感じた───その瞬間だった。
「熱っつ」
「暑い」ではなく「熱い」。
部屋の外はもはや気温が高いとかそういうレベルではなかった。
熱が全力で俺を焼いてくる。
オーブントースターに入れられたパンは、もしかするとこんな感じなのだろうか。
恐る恐る目を開ける。
まず目に入ったのは雲一つない、見たことがないくらい青い空。
次に周囲を見渡せば、ここは所々に穴があいた石造りの広間らしき場所という事がわかる。
一応屋内にも関わらず空と太陽がはっきりと見えるのは、恐らく天井が崩落して存在しないせい。
床に巨大な瓦礫が散乱しているのはそれが原因だろう。
そして床には所々やたらと粒の細かい砂が堆積しているし、壁の穴から見える”外”の地面は見渡す限りやたらと黄色い。
たぶんあれも砂だ、ただひたすらに砂が広がっている。
「砂漠じゃねーか!!」
思わず叫びながら、辛うじて存在する日陰に隠れて日差しを避ける。
それでも暑いがこのまま直射日光を浴び続けるよりマシだ、死んでしまう。
『ふむ、我が居城アルタリオンは緑豊かな平原に在ったはずなのだが』
「違う場所なんじゃねえの」
『それはない。先程の玉座の間もこの広間も、朽ちてはいるが我が知るアルタリオンのものだ』
さっきの埃地獄、玉座の間だったのか。
「とりあえずここより日差しが遮られてそうなところに案内してくれ」
聞きたいことは山程あるが、このままでは環境に殺される。
もう焼けるのが先か脱水症状が先かみたいな状況だ。
『わかった、ついてくるが良い』
朽ちていても勝手知ったる自分の城ということだろう、ベルガーンは迷うことなく進んでいく。
その後を俺は辺りをキョロキョロと見回しながら、都会に出てきてすぐの田舎者のような挙動で追いかける。
このアルタリオンとかいう城はけっこうデカい。
廊下は長く広く部屋も多い、先程ベルガーンは「居城」と言っていたがまさしく城といった規模だと感じる。
先程いた玉座の間の位置はだいたいビルの四階くらいの高さだろうか、高さもかなりのものだ。
所々朽ちたり崩壊したり砂に埋もれたりしているがきっと環境を考えればマシな状態だろう。
壁はともかく足場はほとんど崩れておらず、瓦礫が散乱している以外は歩くのに全く支障がない。
ゲームでこの手の崩壊した建造物を探索する際におなじみの「床が抜ける」というイベントがなさそうなのは正直助かる。
「ん?」
はたと足を止める。
何か聞こえた。
具体的に言うと音ではなく鳴き声、それも映画とかで怪物が発するタイプの気色悪くてよく通るようなやつだ。
「なあ今のって……」
『魔獣だな、大型のものが何かを威嚇している声だ』
どうやら鳴き声はベルガーンにも聞こえていたらしく、最後まで問う前に答えが返ってきた。
魔獣……魔獣か。
初っ端から随分とファンタジーな単語が出てきたな。
『気になるか?』
「なる」
魔法があって魔王がいる世界だ、そりゃ当然魔物もいるだろう。
どんなやべえのがいるか見ておきたい。
……なんか嫌な予感がするので、襲われる前に。
『ならばこの部屋が良かろう』
案内されたのは、暑いは暑いが直射日光がないためまだ我慢できる部屋。
散らばっている木の残骸は、たぶん棚とかベッドあたりだろう。
ほぼ風化しており元の形は全く想像できない。
「どれどれ」
辛うじて原型を留めていた大きな窓から外を見る。
分かりきっていたことだが地平線まで真っ黄色。
見渡す限り何も存在しない、まさしく砂漠のど真ん中といった風景の中にそれはいた。
ミミズに口と牙が生えたような、見た目も鳴き声もたいへん気色悪い怪物。
たぶん名前はサンドワームとかだろう。
『あれはサンドワームだな』
正解だった。
『口が余や貴様の背丈程度の大きさだ』
「でかすぎだろ……」
口が二メートル弱なら、地上に露出している部分だけでも十メートル以上はあるんじゃないか。
砂漠にありがちな怪物でだいたい雑魚敵、みたいなイメージだったが実際目にするとそんな印象はまるで当てはまらない。
正直、目の前に現れたら腰抜かして何もできなくなると思う。
「あんなデカブツが威嚇するって━━━」
───一体どんな奴なんだ。
そう口にしかけた俺の目に、あるものが留まった。
ベルガーンの視線が向いている先も、サンドワームではなくそちら。
それは、おおよそ砂漠という場所には似つかわしくない、美しい意匠の鎧を纏った白銀の騎士。
激しく自己主張をしているのはサンドワームの方だが、存在感があるのは騎士の方。
果たして彼か彼女かはわからないが、長い剣を構え悠然とサンドワームに相対する騎士の佇まいには彫像のような美しさと、素人目にもわかる強者の風格があった。
『“ワンド“か』
どうやらあれは”ワンド”というらしい。
果たしてそれはどういったものかとベルガーンに尋ねようとした刹那───白銀の騎士が大地を蹴り跳んだ。