第二章:その13
大通に様々な音や声が響く。
悲鳴、怒号、乾いた音、何かが割れる音、また悲鳴。
数分前……数秒前までは賑やかで穏やかな日常があったはずの場所が、突然戦場に変化したのだ。
そんな場所で俺は今、とても混乱している。
何が起こったのかわからない。
どうしたらいいのかわからない。
自分が今何をしているのかがわからない。
「落ち着こう、呼吸はできる?」
不意に頬を何度か叩かれ、我に返る。
顔を上げると目の前には少尉の顔。
彼女は俺の肩に手を置き、じっと目を見つめている。
「やっぱり美人だな」という酷く間の抜けた、場違いな感想とともに俺の脳がようやく正常に回り始めた。
「ゆっくり息を吸って」
言われた通りに呼吸を繰り返す。
それでようやく俺は自分自身と周囲の状況を認識できる程度には落ち着きを取り戻すことができた。
まず俺は今、地面に座り込んでいる。
場所は屋台の陰、背にしているのは木箱。
周囲には色々なものが散乱しているが、特に目につくのは色とりどりの野菜や果物だろうか。
隣には俺同様に座り込むメアリの姿。
顔色は当然ながらよろしくない。
まあこれは俺も同じようなものだろう。
あとは……メアリの横に控える黒服が一人と、少し離れた場所で腕から血を流して苦しそうにしてるおっさんの姿が見えた。
腕なので致命傷ってことはないと思うが、それはあくまで俺の素人考え。
大丈夫なんだろうかと心配し、大丈夫であって欲しいと願う。
「落ち着いた?」
「たぶん」
「よし、頭は上げないでね」
悲鳴に混じり今も聞こえる乾いた音はたぶん銃声だろう。
砂漠で聞いた“アームド“の巨大な銃の音とは違う、おそらくは人が持つサイズの銃。
映画でたまに見る銃撃戦に巻き込まれるシーンそのままみたいな状況だ。
こんなもん実体験しても何も嬉しくない。
『前後から三人ずつ来ているな、突破せねばどうにもならん』
そう言ったベルガーンは……至って普通だった。
いつも通り腕組んで立っている。
こいつは恐らくこういった鉄火場にも慣れているのだろう。
なんか立ち振舞見てたらだいぶ落ち着いてきたな。
すげえ頼りになりそうに見える、さすが魔王。
思念体だから何もできないけど……と考えて、逆に思念体だから何もされないことに気付く。
率直に言って羨ましい。
今だけでも代わってもらえないだろうか。
「行ってくる、ここにいて」
言いながら立ち上がった少尉に向かって一発の銃弾が迫るのが見えた。
俺が「危ない」と叫ぶより先、彼女の頭に到達しかけた銃弾は不可視の何かに弾かれる。
たぶん今のは魔法障壁なんだろう。
少尉は平然としてるがこっちは心臓バクバクだ。
まるで自分のことのように焦った。
「いってらっしゃい……?」
そんな間の抜けた言葉が口から出た程度には、俺の頭は回っていない。
恐らくその言葉が聞こえたのだろう、少尉は一瞬「大丈夫かこいつ」みたいな顔を俺に向けて飛び出していった。
「大丈夫か?」
「あんまり大丈夫じゃない、かな」
場に残されたのは俺とメアリ、あとは黒服が一人。
改めて見てもメアリの顔色は酷い。
「奇遇だな、俺もそう」
俺も大丈夫ではない。
多少は落ち着いたとはいえ、メアリを励ませる立場かと言われると甚だ疑問だ。
というかこんなあちこちで銃弾がチュンチュン跳ねる音がしている環境で落ち着くとか無理だろう。
何なら横にいる黒服も拳銃みたいなの撃ち始めたので、間近で発砲音まで聞かなきゃならなくなった。
状況はむしろ悪化している。
これで俺も少尉みたいに魔法障壁が使えれば多少気楽に構えてられるんだろうが、残念ながら使えない……というかそもそも使い方からしてわからない。
”魔法の杖”に同調している間はどういう仕組みか勝手に発動していたので、たぶん生身でも使えないことはないだろうとは思う。
思うが、今はどうしようもない。
”魔法の杖”を召喚して同調すれば安全なんだろうが、それも躊躇している理由がある。
街中で、人がまだ大勢いる場所で俺のような制御も怪しい素人が出していいものではないように思うのだ。
周囲の建物や屋台を壊す程度ならごめんなさいで済むかも知れないが、メアリや他の人を吹き飛ばしたり踏み潰したりしそうで怖い。
我ながら変なところビビりだなとは思う。
でも少尉や他の連中も召喚してないところを見ると、街中での戦闘に”魔法の杖”は向いてないのかもしれない。
何にしても使えない理由があるのは俺だけではないということだろう。
「メアリは魔法障壁とかいうの使えないのか?」
「使えるけど、今まともに使いこなせる自信ない」
魔法障壁自体が難しいのか、震えているせいでまともに魔法が使えないのか。
果たしてどちらなのか、俺にはわからない。
一つだけ確かなのは、今ここにいるのが魔法の才能に溢れた女の子ではなく年相応の怯える少女ということだ。
「少尉たちならなんとかしてくれるさ」
俺に、俺たちにできることは何もない。
こういう場合はむしろ何もせず、待つのが最善だ。
───大丈夫、きっと大丈夫。
そんな言葉を数度頭の中で繰り返し、そしてメアリに向けてもそう言おうと口を開きかけた時。
『クロップ!戻れ!!』
突如、怒号のようなベルガーンの声が響いた。
そもそもハイペースで鼓動していた俺の心臓が、さらにもう一段階跳ねる。
そして何があったのかを問おうと、ベルガーンのいる方へと顔を向けた瞬間。
視界に映ったのは、空から降りてくる男たちの姿。
暗い緑色の服と同じような色のボディアーマー、黒い覆面を身に着けた人物が三人。
長い銃を抱えた者が二人と、特に何も持っていないように見えるもう一人。
彼らは真っ直ぐにこちらを見据えていた。
狙いは俺たちだと言わんばかりに。
俺はそれに対して、何のアクションも起こすことができなかった。
抵抗することも、逃げることすらも。
彼らが目の前に来るのを、銃を思いっきり振りかぶるのを、俺はただ呆然と眺めていた。
そして、衝撃とともに俺の意識は暗転する。