第十章∶”我らの紋章”
オークたちは皆一様に、その光景を見せかけだけのものと思った。
そう”皆”だ。
敵も味方も区別なく、誰もが「出来るわけがない」と思った。
「はぁああああああ!!」
そして気合と共にウェンディが勢い良くサバリに斬りかかり、一合二合と激しい打ち合いが始まって尚、オークたちはその光景に現実感を見出すことができなかった。
それは当事者たるサバリも同じ。
ウェンディの繰り出す一撃一撃は、ゲイェのそれに匹敵する程に重い。
それも”紋章”の力を得たゲイェのそれに、だ。
「人間の牝風情が何故”紋章”を使える!!」
サバリの叫びは、この場にいるオークが皆抱いている疑問。
彼らにとっての”紋章”は単なる魔法ではなく、オークという種族を象徴するもの。
強靭な肉体を持つオークにしか使えぬ魔法であり、より強い力を引き出せる者こそが優れた戦士であるという分かりやすい物差し。
得物に”紋章”を刻む儀式を成人の儀とし、その得物を自身の象徴そして生涯の相棒とみなす。
それほどにその「オークしか使わぬ魔法」に対する神聖視は強い。
そんな代物を今、年端も行かぬ人間の少女が行使している。
それも「使いこなしている」と評していいほどの出力と精度で。
オークにとっては信じ難い光景。
誇りを汚されたとかそういう話ではない。
何しろこれは本来他種族が手を出しようのない、不可侵の領域と言っていい世界のはずだったのだから。
確かにウェンディのハルバードには仰々しい紋章が刻まれているが、それを”紋章”であると認識できた者はオークにも皆無。
「人間がゴテゴテと武器に絵を描いている」程度の認識で止まっていたが故に、驚きは大きい。
「遠い昔、私の祖先は独りでこの河を渡りました」
ウェンディが”紋章”を使える理由は、ヨークシャー辺境伯家の祖であるエイブラム・ヨークシャーの伝説に由来する。
彼はもはや天災と言っていい破壊力を有していた”オークの河越え”を止めるため、単身で河を渡った。
そして当時のオークたちの王……種族最強の戦士との一騎打ちに勝利し、「ヨークシャーの血筋が続く限り河は渡らぬ」と約束を取り付けたという伝説。
「そこでオークから教わったのが、この”紋章”であると伝え聞いております」
友好の証、あるいは「約束を忘れていない」という証。
そんな意味と価値を以てヨークシャー辺境伯家に伝わった”紋章”は伝統として代々武器に刻まれ続け、そして使用方法もしっかりと伝承されてきた。
「知っている理由など聞いておらぬ!!」
その答えにサバリは納得しない。
そして他のオークたちにとってもそれは同じ。
彼が……彼らが問いたいのはその知識を持っている理由ではなく、使いこなしている理由だ。
実際、”紋章”が本来人間に扱い切れる代物ではないというのは動かしがたい事実であり、ヨークシャー辺境伯家とてそれは同じ。
術式自体は正確に伝わっているものの、歴代の伝承者の中でこれを使いこなせた者は居ないに等しい。
”紋章”を伝承しているのはどちらかと言えば象徴的な意味合いの方が強い、というのが実態だ。
「私、始祖エイブラムに憧れておりますの」
そんな中に存在する唯一に近い例外。
それが最初にオークから”紋章”を学んだ者、エイブラム・ヨークシャーである。
元々彼はおよそ千年にも及ぶ帝国の中でも屈指の実力を持つと評される戦士。
それこそ”紋章”の出力に耐える程の、人間としては規格外と言っていい肉体強度を有する怪物だった。
とはいえ彼はオークのような分かりやすい見た目をしていた訳では無い。
筋肉量は多かったがそれはあくまでも人間の枠内からはみ出るものではなく、巨漢と呼べるような体躯でもなかった。
「類稀なる魔力と魔法力、その全てを賭した”肉体強化”。
それが彼を、貴方がたオークの領域に押し上げました」
彼には”肉体強化”の効果量が異常と言える程に大きく、そしてそれを長時間最大量行使し続け得るだけの魔力があった。
それが彼が”紋章”の使用に耐えるだけの……オークに比肩あるいは凌駕する肉体強度の源泉。
「私はその真似をしているだけでしてよ」
ウェンディには、同じような素質がある。
同じような才能の源泉を有している。
───だから彼女は”紋章”を行使できる。
エイブラム・ヨークシャーに連なる者として、彼と同じように。
はっきりと言ってしまえば、この「魔法の力を得るために別な魔法を使う」という行動は無駄そのもの。
消費する魔力に対して効果が見合っているとはとてもではないが言えない。
あるいは、愚かと言って差し支えのないものなのかも知れない。
だが、人間がこれだけの強化を得られる方法論が他に存在しないというのもまた事実。
”ワンド”の召喚、同調を前提としても尚至れぬ領域。
時代を遡ればドラゴンさえも墜としてのけた力の極致。
エイブラム・ヨークシャーはそこを目指した。
そして、ウェンディ・ヨークシャーもそこを目指している。
それ程にその頂に価値があるのか、あるいは血筋によって受け継がれた精神性か。
それは本人にすらわからず、答えを用意できる者も存在しない。
「ご理解いただけましたら、続けましょう」
いずれにしても帝国は、ヨークシャーの血筋は、再び怪物を産み落としたのだ。
「フザケたことを抜かすな!!」
だがサバリは納得しない。
彼にとってウェンディが述べた内容は、到底納得できる代物ではなかったからだ。
かつて独りで河を渡ってきた人間の話はサバリとて知っている。
知った上で「”豚頭”から王が出るような弱い時代ならではの出来事」と断じていたのだ。
そう、彼は王が”豚頭”であることに強い不満を持っている。
過去の歴史においても、現在においても、「王となるべきは”猪頭”である」と。
だから彼は現状に納得するわけにはいかない。
”豚頭”よりも更に下等とみなす人間、それも年端も行かぬ少女が自分と真っ向から打ち合っている。
それも、まるでオークの中でも屈指の実力者たちのように”紋章”を使いこなしながらなどという状況を、受け入れるわけにはいかなかった。
「くたばれ!!」
そして彼の号令一下、無数の”手”がウェンディに向かって伸びる。
ゲイェすらも絡め取った、一本一本が強い力を持つその”手”が殺到する。
命令を下したサバリは、離れた位置で状況を見つめるのみ。
それだけでも彼と”手”の間におおよそ連携といったものが存在しないということが伺い知れる。
「”狭間”から出てくるものは、何故こうも一様にグロテスクなのでしょう」
だからウェンディは”手”を……その根本にある星空のような空間の染みだけを見つめる。
彼女がそれを目にするのはこれが四度目。
穏やかな心持ちで見ることが出来たのは幼少期の一度目のみで、以降はまるでいい思い出がない代物。
毎度毎度醜悪な怪異との戦闘に見舞われているのだから、嫌になるのは当然ではあるのだが。
「ホソダさんは確か、大本を破壊していましたわね」
ごく最近起こった、バーゴイン男爵領にて怪異と”デーモン”が這い出してきた事件。
その事件は、最終的に祭壇と時空の歪みの破壊によって解決した。
状況的にはそれが近いと判断したウェンディはハルバードを大きく振りかぶる。
「ハッ!!」
そして強く振り下ろされると同時に、ハルバードに刻まれた”紋章”が閃光のような輝きを放った。
ウェンディが企図し、実行したのは”斬撃”を飛ばす挙動。
魔力を込め、得物を振るい、遠くの敵を斬りつける。
そんな熟練の戦士ならば誰もが使える技。
だが結果として生じた現象は、果たして本当に”斬撃”だったのだろうか。
「なん───」
それは誰かが発した、ひどく中途半端な驚愕の言葉。
不可視の何かが、進路上に存在する”手”をなぎ倒しながら進んでいく。
その光景はもはや「斬る」ではなく「破壊する」という表現の方がふさわしい。
武器に刻まれた”紋章”の影響か、あるいは極限まで強化された肉体によって放たれたが故にか。
いずれにしろその攻撃は威力、影響範囲共に規格外のもの。
”手”はそれを止めることも減衰させることすらも叶わず、まるでドリルに巻き込まれた土やゼリーのように寸断され飛び散る。
そして「パン!」と、まるで中身の入ったガラス瓶が床に落ちて弾け飛んだような硬くどこか湿った音が鳴った。
それは”斬撃”が”手”の根元、空間に出来た染みのような星空に衝突した音。
直後に星空は消失し、そこから伸びていた”手”も青黒い煙となって消えていく。
もちろんそこに至るまでに吹き飛ばされたものも、だ。
「これで邪魔者は居なくなったという認識でよろしいでしょうか」
僅かな沈黙が流れた後、そう言ってサバリの方へと向き直ったウェンディの顔に浮かんでいたのは微笑み。
「人間風情が……!」
決して煽りを意図したものではなく自然に浮かべただけのそれが、酷くサバリの神経を逆撫でした。
彼はその表情を「余裕」と感じたのだ。
「そうだ、飛んだ戦斧はお拾いに───」
「必要ない!!」
「どうせなら正々堂々全力で」という意図の提案も「舐められている」と受け取る。
はっきりと言ってしまえばサバリはこの時、完全に感情の均衡を失い冷静さを欠いていた。
理由はいくつもある。
まずゲイェを殺す機会を邪魔されたことに対する苛立ち。
次に見下していた相手が自身と真っ向から打ち合う力を持っていたことに対する焦り。
そして僅かな不安と、その心境を認めたくないという気持ち。
それらが悪い方へ、悪い方へと作用した。
彼は万全の状態に戻り得た機会を、自ら放り出したのだ。
「では、そのように」
歓喜でも落胆でもなく、ただ「納得した」「理解した」というだけの言葉。
それを合図に、再びウェンディとサバリの戦いが始まる。
周囲の「人間の少女が”紋章”を使いこなし、サバリと真っ向から打ち合っている」という驚愕も落ち着き、先程までと違って冷静に見つめられるようになった戦いは───明らかなまでに、ウェンディがサバリを押し込んでいた。
原因として最たるものは、サバリが戦斧の片方を喪失していること。
それによる攻撃頻度の低下。
それによる防御面積の減少。
それによる数多くの”手段”の喪失。
そこに「冷静ではない」という精神状態も加われば、十全な力など発揮できるはずがない。
対するウェンディは人間としては抜けたところが数多く存在するが、戦士としては怜悧そのもの。
そこにハルバードの特徴でもある「取れる選択肢の多さ」も加わり、的確にサバリに生じる隙を突きこじ開けていく。
打ち合いの数がおよそ二桁に到達した頃には、ウェンディの攻撃がサバリに届き始める。
掠める、叩くという程度のもので明確なダメージになっているとは言い難いが、十分にウェンディ優勢な状況であると言い切れる証左。
「こ───のッ!」
それを受け入れる訳には行かぬとでも言わんばかりに、サバリが前に出る。
ただ意地によるだけの、無茶な前進。
ウェンディはそれを上手く受け流しつつ、するりと滑り込むように懐に入り込み……そしてついに、ハルバードの穂先がサバリの肩口にめり込む。
(浅い)
ダメージを受けた瞬間、サバリが抱いた感想はその一言だった。
痛みはあるし、人間風情に傷をつけられたという憤慨もある。
だがそれ以上に、付け入る隙となりうるものを見つけたことで彼の茹だった思考は僅かずつながらも冷めていく。
ウェンディの攻撃は間違いなく重く鋭い。
まず間違いなく一般的なオークの戦士など相手にならぬ実力。
自身の”硬化”も分厚い毛の鎧もものともせず肉を抉られた時点で、サバリもそれは事実として認めざるを得ない。
だがそれでも、サバリを仕留めきれるだけの攻撃は繰り出せていない。
それは力や技ではなく、身体のサイズからくるリーチに由来する問題。
ウェンディの武器は長物だが、それでもかなり思い切って踏み込まないとサバリには届かないのだ。
ならば、とサバリは再び前に出る。
今度は明確な意思と目的を持って。
(やはりな)
再開された打ち合いはやはりウェンディ優勢。
だが自身の推測が当たっていることに、サバリは僅かにほくそ笑む。
打ち合いからは致命打が飛んでこない。
ウェンディが致命打を放つには、かなり無理をした踏み込みが必要。
そしてその機会は、自身にとってもチャンスであると。
そしてさらに数度の打ち合いの後、その機会がやってきた。
サバリの攻撃と防御の間隙を縫うように、ウェンディがするりと自身の間合いに入り込む。
通常ならば……先程までのサバリならば大きく回避していたであろう状況。
だが彼は今回、回避行動を取らない。
自らの肉体を的にかけ、あえて攻撃を受けようとしているのだ。
───多少の被害は甘受し、攻撃後のタイミングでウェンディを捕まえる。
捨て身の、相応の覚悟が要る行動。
だがサバリにはこれまでの攻撃の浅さ、そして”猪頭”の頑強さから喰らっても一撃で致命傷に至ることはあるまいという打算がある。
だからこそ選べた選択肢、とも言える。
(手こずらせやがって)
この瞬間、サバリは勝ちを確信していた。
細い身体をへし折る想像さえもが頭をよぎった。
そうして身体に全力の”硬化”を付与しつつ、ウェンディの攻撃を待つ。
「な───」
だがサバリは気付けば予定よりも、予想よりもさらに近い位置にいるウェンディに驚愕することとなった。
そしてそこは、ウェンディが必殺の一撃を放ち得る距離。
攻撃を「浅い」と感じたのはウェンディとて同じ。
だから先程までよりも更に深く一歩踏み込んだ。
ウェンディの視点で説明するならその程度の話でしかない。
ただ相手の懐というのは、安全圏にはほど遠い場所。
むしろ近付けば近付くほど危険性は高まっていく。
そんなところに何の躊躇いもなく突っ込んでいける者が果たしてどれだけいるだろう。
ウェンディというのは、その行動ができる人間だった。
「はああああああ!!」
叫びとともにハルバードが振るわれる。
”紋章”から、稲妻のような光が迸る。
───結局、最初から最後までウェンディという人間を見誤った。
サバリはその認識を得ることすら叶わぬまま、強い衝撃と共に胴を両断され吹き飛んだ。




