第十章∶オークたち2
平原にて、強大な力が激しくぶつかり合う。
それが巻き起こす風と、余波によって生じる破壊。
当事者たる”豚頭”と”猪頭”の周囲は、さながら嵐が襲来したかのような状況。
巻き込まれては敵わぬと、周囲の者たちは皆一様に距離を置く。
そのためその場所はまるで切り取られたかのように二人だけの世界と化していた。
そんな二人の片割れとして巨大なバルディッシュを振るい続けるゲイェは、その状況の悪さに心中で何度も舌打ちをする。
決して力で押し負けている訳ではない。
捌ききれない程の速さで攻撃されている訳でもない。
(年は取りたくねぇな……!)
問題はただ一つ。
筋肉、骨、心肺機能、そして魔力に訪れた老いという避けがたい劣化。
”紋章”を高出力で長時間使用し続けているという現状が続けば、それらは必ず悲鳴を上げる。
確実に、若いサバリよりも早くに。
実際既に肉体からは、微弱ながらもそういうサインが出ている。
「どうした、限界でも近いか」
そして不味いことにそれは相手……サバリも把握している。
顔に嫌な笑みが浮かんでいるのは、あるいはそれを前提に戦いを組み立てているという証左なのかも知れない。
「そりゃあ儂は年寄りだからな」
答えは苦笑と共に。
同胞に……若い世代にこれほどの実力者が居るというのは、本来ならば喜ばしいことなのだろう。
だが残念ながら現状、ゲイェにとってのサバリは敵以外の何物でもない。
あるいは最初から同胞と呼ぶのは無理がある関係性だったのかもしれない、という思いすらある。
(だから、勝たねばならん)
彼我の距離と共に間が空いた時、ゲイェは強い決意とともに大きく息を吐いた。
まだ身体は限界を迎えていない。
持久戦は……このまま慎重に戦い続けるのは相手の思うつぼ。
ならばと、勝負をかけることを択ぶ。
「オオオオオオオオッ!!」
叫びと共に魔力を武器に流し込む。
その全力に応えるかのように、バルディッシュが眩い輝きを放った。
「───ッ」
対するサバリの顔に驚愕が浮かんだ一瞬。
その一瞬の間に、ゲイェは自身の間合いへと入り込んだ。
まるで地面を滑るように、残像を伴ってすら見える速さで。
まずは横薙ぎの一閃。
サバリは反応の僅かな遅れで受け損なったか、硬く重い音とともに戦斧が片方弾き飛ばされ飛んでいく。
行けるという思考、行くしかないという決意。
さらに一歩を踏み出しながら、ゲイェはもう一度得物を振りかぶる。
さらに一歩、前へ。
今度は先にサバリが戦斧を振るい、武器同士が衝突する。
押し勝ったのはゲイェ。
弾かれるように……あるいは衝撃を利用してサバリの身体が後ろに退がる。
「距離を取りたい」そんな魂胆が見て取れる行動。
させるかと、さらなる追撃を試みようとした時のこと。
得物を失った右腕で、サバリが放り投げてきたものがあった。
それはいつの間にか懐から取り出していたらしい、真っ黒な水晶玉。
その投擲は直撃によるダメージを狙ったにしては狙いが雑で、スピードもない…
だがそれにより、ゲイェはむしろ警戒を強める。
河を渡ってくる密猟者たちが使用する投擲武器の中には、爆発を起こしたり強い光を放つものがあることを彼は知っている。
今回の黒い水晶玉には見覚えがなかったが、それに近い物だろうと推測。
対応は、僅かに身を捻っての回避。
光であれば目を灼かれたくない、爆発ならば耐えてみせると。
間近で見れば中に無数の星のような小さな光が見て取れる漆黒の水晶玉が、あっさりとゲイェの横を通り過ぎていく。
そしてもう一撃とゲイェがバルディッシュを振りかぶった瞬間のことだった。
何かが纏わりつくような感覚。
「ぐおッ!?」
それを知覚するのとほぼ同時、ゲイェの身体が強く後方へと引っ張られた。
自身が前進しようとする力と何かが後方に引く力、いずれもが強力なそれらがゲイェの身体にかかる。反発し合う。
それによって生じた尋常でない衝撃によってミシリと音を立てたのは、果たして身体のどこであったのか。
(一体何が───)
視線を巡らせた先に見えたのは無数の手。
人間の手、獣人の手、リザードマンの手、オークの手、そして得体の知れない「手らしきモノ」。
無数のそれらがゲイェの腕に、身体に纏わりついている。
そして振り返れば、そこには星空があった。
青空の下、壁にぶちまけたインクのように空中に存在する”星空のような染み”。
無数の”手”は、そこから伸びている。
身体中が怖気立った。
見たことのない現象であるのは間違いない。
生理的にか本能的にか、ゲイェはそれらが根本的に自身と……あるいは生命と相容れぬモノであると直感する。
「オラァ!!」
そして、それらに対する思考は許されなかった。
弾かれるように前へと向き直った彼の目に映ったのは、サバリの姿。
前傾で頭を前に出し、真っ直ぐに突っ込んでくる姿であった。
得体の知れぬ現象に、強い力に拘束され防御のできないゲイェの顔面にサバリの頭突きがめり込む。
重い衝突音。
そして湿った音と、何かがひしゃげた音が聞こえた。
まるで火花でも散っているかのようにチカチカ光る視界の中、ゲイェはサバリが戦斧を高く振りかぶる姿を辛うじて見る。
狙いは首筋と、そう判断する。
シンプルに一撃必殺を企図した一撃だろうと。
それを防ぐため、”手”を無理矢理引き剥がした左腕をかざす。
───如何に全力で”硬化”をかけた太い腕とて、”紋章”にて力を増幅された”猪頭”の一撃になど耐えられるはずがない。
それは純然たる事実であり、確定した未来。
それでもゲイェは腕をかざした。
「死んでたまるものか」という執念でもって。
そして衝撃とともに、血が迸る。
戦斧が身体にめり込んだ衝撃と、まるでどこかに引きずり込まんとするかのような”手”の力。
それらに抵抗することができず、ゲイェの身体が後方へと吹き飛ぶ。
「ゴブッ」
そして地を転がりながらの吐血。
果たしてそれは頭突きによる顔面へのダメージに由来するものか、それとも他の原因によるものかはわからない。
(生きちゃいるのか)
左腕を犠牲にしたことで、戦斧による攻撃の軌道は逸れた。
切り裂かれたのは首ではなく胸部。
辛うじて即死は避けたが、ダメージは大きく出血は酷い。
あるいは「まだ死んでいないだけ」で、致命傷を負っている可能性も捨てきれない程の大怪我だ。
「で、何だいそりゃあ」
そんな状況下でもゲイェの目を、興味を引きつけるものがある。
空中に浮かぶ星空のような”染み”と、そこから伸びる無数の”手”だ。
嫌悪、恐れ、そして好奇心。
ゲイェに不可思議な程様々な感情を抱かせるそれらは、サバリの一撃で諸共切断されたか何本かのがまるで魔獣のように青黒い煙となって消失を始めている。
頭をよぎるのは「あるいはそれによって力が弱まったせいで引きずり込まれずに済んだか」という根拠のない安堵。
「これから死ぬジジイには関係あるまい」
「ケチくせぇな」
その正体がわからずとも、ゲイェには確信がある。
アレはオークに災いをもたらす類のものである、ということだ。
それに手を染めたサバリは、間違いなく排除しなければならない存在へと成り果てたのだと。
「手こずらせやがって」
当のサバリは苛立ちを隠せない様子ではあるが、その中にも安堵が感じられる。
安堵は、ゲイェをほぼ無力化したが故にだろう。
実際ゲイェはもう戦える状態にはない。
片腕を失った時点で、もはや重いバルディッシュを振るうことなど叶わないのだから。
逃げ出そうにも身体が酷く重く、動かない。
(あとは……誰に任せりゃいいんだか)
ゲイェが知る限り、この場にいる”豚頭”でまともにサバリの相手ができる者は皆無。
”紋章”の扱い一つとっても、彼らにはかなりの力量差があると言わざるを得ない。
その時彼の脳裏に浮かんだのは、ウェンディの顔。
河を渡ってきて暴れ回っている、人間の少女の姿だった。
ゲイェから見て、ウェンディは強い。
”紋章”抜きとはいえ、自身と真っ向から打ち合えるのだから相当だ。
人間としては間違いなく破格、ほとんどのオークが相手にならないような力を持っている。
それがゲイェからウェンディに対しての、掛け値なしの評価。
そして彼女は、無事ならばきっとサバリに挑むだろうという確信がある。
果たしてその時、サバリの相手は務まるのだろうか───ゆっくりと迫るサバリの姿を見つめながらそんな「もしも」に思いを馳せ始めた時のことだった。
「失礼いたします」
立ち塞がるように目の前に立ったのは、まさにその少女。
ハルバードを携えたウェンディの後ろ姿。
その悠然とした立ち居振る舞いは、初めて相対した時と変わらない。
「……向こうはもう終わったのかい」
「おおよそは」
ウェンディは、今の今まで”猪頭”らと戦っていた。
だがその身体にはそれらしい負傷はなく、長い髪は全くとは言わないまでもほとんど乱れていない。
「”猪頭”の相手だろうと苦労はない」と言わんばかりに。
「ゲイェ様!」
背後から自身を呼ぶ声にゲイェが振り返る。
恐らくは状況が落ち着いたのだろう、数人の”豚頭”たちがこちらに駆け寄ってくる姿が見えた。
(随分余裕があったんだな)
その向こうでいまだに戦い続けている者たちこそいるが、それもおおよそ”豚頭”側の優勢。
あるいは、もはや決着はついたと言っていい状況と言える。
こちらに駆け寄って来る者がこれだけいるというのがまさしく、状況に余裕があるという証左だ。
「……何人ぐらい倒したんだい?」
「七人ほど」
「多いな」
苦笑。
現状はゲイェにとっても些か予想外の余裕。
「それを生み出した要因があるとするならばウェンディだろう」と、そんなゲイェの予想は当たった。
そうこうしているうちに周囲に集まった”豚頭”たちに助け起こされながら、魔法を使うのが下手な者特有の効果の弱い”ヒール”をかけられながら、ゲイェはサバリに視線を向ける。
表情からは先程まであった安堵は消え去り、今は明確な怒りが浮かんでいる。
「歯噛みする」という表現が適切かもしれぬと思う、そんな顔。
「行けそうかい」
その相手を託せるならば託してみようと、そう思い至る。
普通は人間に、それも少女に戦いを任せようなどとは考えない。
だがゲイェには、自身の前に立つウェンディの背中がやけに頼もしく見えた。
だからこそ、問いかける。
「ゲイェ様ほど上手くは使えませんけれど、やってみましょう」
言葉と共にウェンディがハルバードを構えた瞬間───その斧頭に刻まれていたヨークシャー辺境伯家の紋章が強い光を放つ。
それはまさしく、”紋章”の輝きだった。




